連載書き下ろし小説

なお、この星の上に

作:片山恭一

写真:川上信也

プロデュース・ディレクション:東裕治

昭和30年代はじめ、中国山地の山奥で未来のエネルギー資源とされる鉱床が発見される。全国的な注目を浴びて沸き立つ村の人たち、新しい考え方や価値観への戸惑い、変わっていく生活、失われていく伝統的な暮らし。そのなかを生きる健太郎を主人公とする4人の少年たち。彼らを取り巻く大人たち、自然、野生の動物。戦争の傷跡はなお色濃く残っている。死者の国と現世を往還する者たち。古い伝説とアニミズムの面影を残す世界で物語は幕を開ける。もう一つの「失われた時を求めて」。過去のものの無化、存在するものの交替。そのなかで少年たちは何を見出すのか?

第十四章

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「なんがわかってないのかの」素朴な口調でたずね返すと、
「何もかも」投げやりに答えた。「変わっていくのが嫌なら、いつまでも炭を燃やして家のなかを温めたり、薪でご飯を炊いたりしていればいい。自分の手で畑を耕し、鎌で稲刈りをすればいい。馬に荷物を運ばせたり、牛にすきを曳かせたり、そういう暮らしをずっとしていればいい」
 ひとしきり言い募って足を止めた。誰かに呼ばれたか、何かを思い出したか、そんな立ち止まり方だった。
「そう思わないか」振り向いてたずねた。
 健太郎は答えなかった。昭は顔を背けるようにして歩きはじめた。ほとんど歩調も乱さなかった。二人は黙って歩きつづけた。前を行く級友が、急に見知らぬ者になった気がした。自分がなぜいまここにいるのかわからなくなった。どうして昭と一緒に歩いているのだろう。自分たちは同じ場所にいるように見えるけれど、本当は別の世界を生きているのかもしれない。
「カネを持ってこいと言われたよ」
 再び昭が口を開いたとき、健太郎はなんのことかすぐにはわからなかった。話しているほうも、いかにも蔑んだ口ぶり以外には、心の内を悟らせないような切り出し方だった。
「もちろん持っていかなかった。そしたら殴られた。顔じゃなくて腹をね」
 殴られたことよりも、目立たないところを狙ったことの不正を言いたげだった。
「馬鹿なやつらだと思った」負け惜しみの口調ではなかった。「大人も子どもも。どうしようもない馬鹿だ」そう言って、最後に大きなため息をついた。
 もっともな言い分だと思う一方で、健太郎は昭にたいして軽い憎しみをおぼえていた。数年前に家に石油ストーブが入ったときのことを思い出した。あのときはストーブの暖かさに、家族の誰もが感動に近い驚きをおぼえたものだった。おかげで冬の家のなかはずいぶん過ごしやすくなった。静かな夜寒に妹の綾子と二人、ストーブの小窓のなかで燃えている火を、いつまでも飽きずに眺めたことをおぼえている。芯に染み込んだ石油が燃える炎を美しいと思った。昭が「どうしようもない馬鹿だ」と言う人たちも、そうやって少しずつ新しいものを受け入れていこうとしている。
「そろそろ帰るよ」明るくも暗くもない声で級友は言った。「訪ねて来てくれてありがとう」
 健太郎は黙って頷いた。心残りになることはわかっていたが、返す言葉を思いつかなかった。会いに来たことが徒労のように感じられた。

片山恭一

愛媛県宇和島市生まれ、福岡県福岡市在住。小説家。九州大学農学部農政経済学科卒業。同大学院修士課程を経て、博士課程中退。大学院在学中の1986年、『気配』で文学界新人賞を受賞しデビュー。しかしその後1995年の『きみの知らないところで世界は動く』まで作品が単行本化されない不遇の時期を過ごす。代表作は、故郷の宇和島市を舞台にした『世界の中心で、愛をさけぶ』。2001年に出版、2004年5月には発行部数が国内単行本最多記録の306万部となった。

川上信也

1971年 愛媛県松山市生まれ。福岡および大分県竹田市白丹を拠点とするフリーのフォトグラファー。福岡大学建築学科卒業後、大分県くじゅうの法華院温泉山荘に1997年より5年間勤務。その間にくじゅうの風景写真、アジアの旅風景を撮り続ける。その後、プロ活動を開始し、様々な雑誌撮影に関わり、風景のみならず、自然光を生かしたポートレート、料理などの撮影を行う。定期的に写真集を出版し、写真展やトークショーも開催。

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