連載書き下ろし小説

なお、この星の上に

作:片山恭一

写真:川上信也

プロデュース・ディレクション:東裕治

昭和30年代はじめ、中国山地の山奥で未来のエネルギー資源とされる鉱床が発見される。全国的な注目を浴びて沸き立つ村の人たち、新しい考え方や価値観への戸惑い、変わっていく生活、失われていく伝統的な暮らし。そのなかを生きる健太郎を主人公とする4人の少年たち。彼らを取り巻く大人たち、自然、野生の動物。戦争の傷跡はなお色濃く残っている。死者の国と現世を往還する者たち。古い伝説とアニミズムの面影を残す世界で物語は幕を開ける。もう一つの「失われた時を求めて」。過去のものの無化、存在するものの交替。そのなかで少年たちは何を見出すのか?

第十三章

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13-7

「妙なもののなかには、おまえのとうちゃんやかあちゃんもおるかもしれんぞ」
 口にした途端に後悔したが、アツシは平然とした顔で、
「そうだの」と軽く返した。
 両親を亡くすということ自体が、健太郎には想像の及ばないことだった。その親たちを異形のものに結びつける心情がまたわからない、と自分から踏み込んだことは棚に上げて思った。
「もし野犬がそういうものなら、人間が野犬を撃ち殺すのを止めねばならんな」誘い出すように言葉を向けると、
「どうやって」逆にたずね返してくる。
「わからん」
 健太郎は先ほどから自分が息を詰めるようにして話していることに気づいた。そんな相手をアツシは捕まえた獲物でも見るようにじっと見ている。無関心の仮面で顔を覆っているのは前と同じだった。その様子はふてぶてしくもあり、年齢と不相応の威厳をまとっているようでもあった。健太郎は身体のなかに眠っていた血が目を覚まし、ざわめきはじめるのを感じた。
「おまえのおやじは戦争に行ったか」しばらくしてアツシはたずねた。
「ああ、行った」健太郎は無造作に答えた。
「無事に帰ってきたか」
「帰ってきた」
「それならええ」
 こういうところで父親のことを持ち出されるのが、健太郎には不愉快だった。
「どういうことか」声に苛立ちが混じった。
「わしはおやじが生きて帰ってきてもらわんでよかった気がする」聞きようによっては不心得なことをアツシは言った。「死んで帰ってきてもろうたほうが心が休まる。そう思わんか」
 相手の言葉にたじろいで、
「そんなことは思わん」と返した。
 アツシは再び夢うつつの顔になっている。死んだ父親のことを考えているのだろうか、と推し量りかけたところで、
「どっちにしても難儀なことだの」とひとこと呟いた。
 何気なく口にされた「難儀」という言葉に行く手を阻まれた格好で二人は黙り込んだ。窺うように見ると、アツシの表情には動きがなかった。しかしそれは見かけだけのことで、仮面の下では何かが絶えず動きまわっているのかもしれない。健太郎は一つ大きく息を入れてから、
「一緒に来んか」と言葉を向けてみる。
「どこへか」
「うちに来て夕飯を喰わんか」
 アツシはそれについて考えているようだった。健太郎には彼が急に幼くなったように思えた。まるで帰り道がわからなくなって途方に暮れている子どもみたいだった。
「どうか」痛ましいような気持ちになって言葉を添えると、
「わしはどこへも行かん」それこそ駄々をこねる子どものように言った。「ここにおるしか仕方がない」
「なせか」
 それ以上、答えるつもりはないらしかった。言葉が途切れるとあたりの静けさが際立った。静けさのなかに、いろいろな物音が含まれている。人の声やざわめきが含まれている。耳を澄ましていると、聞きたくないもの、聞いてはならぬものまで聞こえてきそうな気がする。
「つぎの土曜も会えるか」健太郎は性急な口調で現実的なほうへ話をつないだ。
「ああ」どこか暗い声でアツシは答えた。「避病院で待っとる」
 ふと、このアツシこそ死者ではないかという疑念が頭をよぎった。またしても暗い森を思った。そこから野犬たちが現れる、死者と動物たちが一つになって……そんなことを考える自分を疎ましく感じた。腰を上げると、卓袱台の前に居着いたままの相手の身体が小さく見下ろされた。

片山恭一

愛媛県宇和島市生まれ、福岡県福岡市在住。小説家。九州大学農学部農政経済学科卒業。同大学院修士課程を経て、博士課程中退。大学院在学中の1986年、『気配』で文学界新人賞を受賞しデビュー。しかしその後1995年の『きみの知らないところで世界は動く』まで作品が単行本化されない不遇の時期を過ごす。代表作は、故郷の宇和島市を舞台にした『世界の中心で、愛をさけぶ』。2001年に出版、2004年5月には発行部数が国内単行本最多記録の306万部となった。

川上信也

1971年 愛媛県松山市生まれ。福岡および大分県竹田市白丹を拠点とするフリーのフォトグラファー。福岡大学建築学科卒業後、大分県くじゅうの法華院温泉山荘に1997年より5年間勤務。その間にくじゅうの風景写真、アジアの旅風景を撮り続ける。その後、プロ活動を開始し、様々な雑誌撮影に関わり、風景のみならず、自然光を生かしたポートレート、料理などの撮影を行う。定期的に写真集を出版し、写真展やトークショーも開催。

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