連載書き下ろし小説
なお、この星の上に
写真:川上信也
プロデュース・ディレクション:東裕治
昭和30年代はじめ、中国山地の山奥で未来のエネルギー資源とされる鉱床が発見される。全国的な注目を浴びて沸き立つ村の人たち、新しい考え方や価値観への戸惑い、変わっていく生活、失われていく伝統的な暮らし。そのなかを生きる健太郎を主人公とする4人の少年たち。彼らを取り巻く大人たち、自然、野生の動物。戦争の傷跡はなお色濃く残っている。死者の国と現世を往還する者たち。古い伝説とアニミズムの面影を残す世界で物語は幕を開ける。もう一つの「失われた時を求めて」。過去のものの無化、存在するものの交替。そのなかで少年たちは何を見出すのか?
第十三章
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13-6
わかったような、わからないような話だった。
「おまえは森をおぼえとる」アツシは念を押すように言った。「毎日森を感じて生きとる。おまえもそうじゃろう。だからわしらは仲間じゃ」
「森は悪いものではないのだな」四捨五入するようにたずねると、
「何が悪いものか」たちどころに返した。
「だが危険なところやろ」
アツシは低く声をたてて笑った。
「どんなものでも扱い方を誤れば危険になる」
それ以上の言葉を封じられた気がして、健太郎は口を噤んだ。今日は蒸した芋も水もなしか、と当たり障りのないことを思ってみる。外では少し風が出てきているらしい。山の上のほうで吹きはじめた風が少しずつ近づいてくるが、ここまで吹き寄せることはなく、また引き返していくようだった。遠くの尾根を風が吹き渡っていく。その姿が目に見える気がした。
「森は死んだ者と動物たちが棲まうところじゃ」しばらくしてアツシはしんみりした声で言った。「その森が悪いものであろうはずがない。森が危険なものになるのは、人間が森を荒らすからよ。森が荒らされれば死んだ者は悲しむ。無残に切り開かれれば腹も立てよう。自分らの棲まう森が壊されれば、死んだ者も動物たちも容赦はすまい。生きとる者を恨んで、恨みが募って死んだ者と動物たちが一つになって、野犬のようなものが現れるのかもしれん」最後は何かに取り憑かれたような口調になっていた。
「気味の悪いことを言う」と健太郎は払った。
「そうかの」
「迷信みたいに聞こえる」
「信じられんか」
そう問われれば、はっきり信じないと断言する気持ちにもなれない。不合理なはずの話には奇妙な説得力があった。
「この前の戦争では大勢の者が死んだ」アツシは低くも高くもならない声で言った。「空襲で焼き殺された者もおる。兵隊になって遠い大陸や南の島でも死んだ者もおる。怖い思いをして死んでいった者も、未練を残して死んでいった者もおるやろ。怨念を抱いて死んでいった者もおるはずじゃ。そういう者らの魂が故郷の山に帰ってくる。ようやく安らげる場所へたどり着いたところに、人間がやって来て森の木を伐り、重機で地中を掘り返し、発破をかけて山の静寂を乱せば、死んだ者らの思いは妙なものに姿を変え、生きている者たちを懲らしめに来るかもしれんな」
しんねりと教え諭すような口ぶりだった。健太郎のほうは年寄りから昔話でも聞かされている心持ちになっている。夢にうなされそうな話だと思いながら、目の前にいる者の正体がまたわからなくなる。そのうちにふと、前に本人から聞かされた話を思い出した。
片山恭一
愛媛県宇和島市生まれ、福岡県福岡市在住。小説家。九州大学農学部農政経済学科卒業。同大学院修士課程を経て、博士課程中退。大学院在学中の1986年、『気配』で文学界新人賞を受賞しデビュー。しかしその後1995年の『きみの知らないところで世界は動く』まで作品が単行本化されない不遇の時期を過ごす。代表作は、故郷の宇和島市を舞台にした『世界の中心で、愛をさけぶ』。2001年に出版、2004年5月には発行部数が国内単行本最多記録の306万部となった。
川上信也
1971年 愛媛県松山市生まれ。福岡および大分県竹田市白丹を拠点とするフリーのフォトグラファー。福岡大学建築学科卒業後、大分県くじゅうの法華院温泉山荘に1997年より5年間勤務。その間にくじゅうの風景写真、アジアの旅風景を撮り続ける。その後、プロ活動を開始し、様々な雑誌撮影に関わり、風景のみならず、自然光を生かしたポートレート、料理などの撮影を行う。定期的に写真集を出版し、写真展やトークショーも開催。
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