連載書き下ろし小説

なお、この星の上に

作:片山恭一

写真:川上信也

プロデュース・ディレクション:東裕治

昭和30年代はじめ、中国山地の山奥で未来のエネルギー資源とされる鉱床が発見される。全国的な注目を浴びて沸き立つ村の人たち、新しい考え方や価値観への戸惑い、変わっていく生活、失われていく伝統的な暮らし。そのなかを生きる健太郎を主人公とする4人の少年たち。彼らを取り巻く大人たち、自然、野生の動物。戦争の傷跡はなお色濃く残っている。死者の国と現世を往還する者たち。古い伝説とアニミズムの面影を残す世界で物語は幕を開ける。もう一つの「失われた時を求めて」。過去のものの無化、存在するものの交替。そのなかで少年たちは何を見出すのか?

第十三章

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13-1

 火付けの犯人が捕まった。近隣の村に住む若い男で、父親に付き添われて町の警察署に自首してきたという。野犬に牛を襲われた家の一つだった。苦労して育てた牛が出荷の間際に殺された。それで一家の暮らしが立ち行かなくなったわけではないが、先々の計画に狂いが出た。面白くない。酒を飲んで、火付けを思い立った。腹立ち紛れの犯行ということになる。
 最初に昭の家を狙ったのは意図的だった。自分たちが被っている不幸の根源は、山中に埋まっているおかしな鉱物にある。それに目をつけた者たちが、欲に駆られて無闇に木を伐ったせいで山が荒れ、生きる場所を失った野犬が里へ下りてくるようになった。自分の家の牛が襲われたのも、もとをたどればそこに行き着く。いっそ掘削を進める現場にでも火を放てばよさそうなものを、手近なところで研究開発の任にある昭の父親の住まいに火をつけたということらしかった。
 なるほど一理ある、と犯人の肩を持つように言う者がいた。たしかにやったことは悪い。そのことに違いはない。だがお山を掘り返している連中には、この村の多くの者が反感をもっている。山の土地を売った金で安楽に暮らしている者たちのことも、心よく思っていない。火付けはやり過ぎとしても、わからぬ心情ではない。
 心情といえば、燃え盛る家を見たときには不思議な高揚感があったそうだ、と本人から聞いたようなことを口にする者がいた。人々が混乱し、新聞などに取り上げられたことも、悪い気分ではなかったらしい。それで習慣づいた。火付けが癖になった。良くないこととわかっていながら、自分を抑えることができなくなっていた。見ず知らずの他人の家ということで気が楽だったのかもしれない。みんな焼けてしまえばいい。自暴自棄の行動でもあったのだろう。
 健太郎の家に男たちが集まっていた。仏壇のある客間と隣の居間は、襖を取り外すと二十畳近い広間になる。祭りの際に客を招いて宴会が催されるときや、ちょっとした祝い事で親戚の者が集まるときなど、この二間つづきの部屋が広間として活用された。その夜も二十人ほどの村の男たちが、野犬の害を防ぐための対策を話し合っていた。
 毒餌を撒いてみたけれど効果がない、と一人の男が報告した。野犬たちは賢いので毒の入った餌は食べない。どうやら群れに頭のいいリーダー各がいるらしい。山狩りのことを持ち出す者がいた。野犬たちを撃ち殺そうというのだ。男たちの多くが猟銃を所持しており、狩猟は一年をとおして行われている。また毎年、害獣駆除としてイノシシやシカを狩っている。だが野犬となると狩りは大掛かりなものになる。村の男たちだけでは人手が足りない。広く近隣の者を集めなければならないだろう。直接の被害にあっていない者たちが、肉も喰えない野犬狩りに協力してくれるだろうか。

片山恭一

愛媛県宇和島市生まれ、福岡県福岡市在住。小説家。九州大学農学部農政経済学科卒業。同大学院修士課程を経て、博士課程中退。大学院在学中の1986年、『気配』で文学界新人賞を受賞しデビュー。しかしその後1995年の『きみの知らないところで世界は動く』まで作品が単行本化されない不遇の時期を過ごす。代表作は、故郷の宇和島市を舞台にした『世界の中心で、愛をさけぶ』。2001年に出版、2004年5月には発行部数が国内単行本最多記録の306万部となった。

川上信也

1971年 愛媛県松山市生まれ。福岡および大分県竹田市白丹を拠点とするフリーのフォトグラファー。福岡大学建築学科卒業後、大分県くじゅうの法華院温泉山荘に1997年より5年間勤務。その間にくじゅうの風景写真、アジアの旅風景を撮り続ける。その後、プロ活動を開始し、様々な雑誌撮影に関わり、風景のみならず、自然光を生かしたポートレート、料理などの撮影を行う。定期的に写真集を出版し、写真展やトークショーも開催。

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