連載書き下ろし小説

なお、この星の上に

作:片山恭一

写真:川上信也

プロデュース・ディレクション:東裕治

昭和30年代はじめ、中国山地の山奥で未来のエネルギー資源とされる鉱床が発見される。全国的な注目を浴びて沸き立つ村の人たち、新しい考え方や価値観への戸惑い、変わっていく生活、失われていく伝統的な暮らし。そのなかを生きる健太郎を主人公とする4人の少年たち。彼らを取り巻く大人たち、自然、野生の動物。戦争の傷跡はなお色濃く残っている。死者の国と現世を往還する者たち。古い伝説とアニミズムの面影を残す世界で物語は幕を開ける。もう一つの「失われた時を求めて」。過去のものの無化、存在するものの交替。そのなかで少年たちは何を見出すのか?

第十二章

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12-11

「なんでおまえがここにおる」
「なんでって、健太郎が思いつめた顔をしてふらふら歩いとったけん、心配になってあとをついて来たんやない」いくらか恩着せがましく言うと、少女はまじまじと彼の顔を見て、「どうかしたんか」とあらためてたずねた。
「どうもせん」
 清美は拝殿の縁側に少し離れて腰をかけた。
「なんか用か」健太郎は煩わしそうに言った。
「用がないと話したらいけんのか」
 こぢんまりとした境内には、御神木とされている銀杏の木があった。落葉した黄色の葉が根元を覆っている。それがあたりの雰囲気を明るくしていた。
「清美は進学やろう」気分を変えて当たり障りのないことに言葉を向けた。
「そうじゃよ」唐突な問いを自然に受けて、「健太郎も進学組やったな」と返した。
「なんか行きとうのうなった」
「高校か?」ちょっと驚いた顔をして、「就職するのか」とたずねた。
「わからん」
「進学も就職もせんと、ぷらぷら遊んで暮らつもりやな。怠け者やね、健太郎は」
 その口ぶりは綾子に似ている気がした。
「何をニヤニヤしとるん」清美はちょっと腹を立てたように言った。
 ここは気持ちのいい場所だ、と健太郎は思った。隣にいる清美のせいかもしれない。そのたたずまいが穏やかでいい匂いをさせているからだ。彼女から「健太郎」と呼ばれるのは心地がいい。
「なあ、清美」
「なんやの、あらたまって」彼女ははじめて不審そうな顔をした。
「わしから目を離さんでくれ」
「はあ?」間の抜けた声を出した。当惑したその顔が真剣になった。「どういうことなん」
 健太郎もまた真剣だった。
「いつもわしを見とってくれ」
 森のことを話したかった。自分のなかにある得体の知れないもののことを話したかった。しかし何をどう話していいのかわからない。いま自分がとらわれているものは、言葉にするにはあまりにもとらえどころのないものだ。ただ胸のなかで健太郎は懸命に訴えていた。いつも見ていてくれ。おまえが見てくれていないと、おかしなものになってしまう。暗い森のなかでも、おまえが名前を呼んでくれれば、いつでも自分を見つけることができる。この自分に戻ってくることができる。
「からかっとるんか」
 そうでないことは二人ともわかっていた。ここにととどまりたい、と健太郎は思った。二人でこの場所にとどまりたい。率直な思いを口にするかわりに、
「大人になりとうないな」と言った。
「高校には行きとうない、大人にもなりとうない。今日の健太郎はヘンやね」わがままな子どもに手を焼く母親みたいな口ぶりだった。
 彼は切ないような気持ちで清美を見た。大人になりたくないというのは本心だった。年齢も性も関係なく、ただ彼女から「健太郎」と呼ばれる者でありつづけたい。清美は痛ましそうに彼を見ていたが、
「やっぱり今日の健太郎はヘンやわ」と一言呟いて静まった。

片山恭一

愛媛県宇和島市生まれ、福岡県福岡市在住。小説家。九州大学農学部農政経済学科卒業。同大学院修士課程を経て、博士課程中退。大学院在学中の1986年、『気配』で文学界新人賞を受賞しデビュー。しかしその後1995年の『きみの知らないところで世界は動く』まで作品が単行本化されない不遇の時期を過ごす。代表作は、故郷の宇和島市を舞台にした『世界の中心で、愛をさけぶ』。2001年に出版、2004年5月には発行部数が国内単行本最多記録の306万部となった。

川上信也

1971年 愛媛県松山市生まれ。福岡および大分県竹田市白丹を拠点とするフリーのフォトグラファー。福岡大学建築学科卒業後、大分県くじゅうの法華院温泉山荘に1997年より5年間勤務。その間にくじゅうの風景写真、アジアの旅風景を撮り続ける。その後、プロ活動を開始し、様々な雑誌撮影に関わり、風景のみならず、自然光を生かしたポートレート、料理などの撮影を行う。定期的に写真集を出版し、写真展やトークショーも開催。

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