連載書き下ろし小説

なお、この星の上に

作:片山恭一

写真:川上信也

プロデュース・ディレクション:東裕治

昭和30年代はじめ、中国山地の山奥で未来のエネルギー資源とされる鉱床が発見される。全国的な注目を浴びて沸き立つ村の人たち、新しい考え方や価値観への戸惑い、変わっていく生活、失われていく伝統的な暮らし。そのなかを生きる健太郎を主人公とする4人の少年たち。彼らを取り巻く大人たち、自然、野生の動物。戦争の傷跡はなお色濃く残っている。死者の国と現世を往還する者たち。古い伝説とアニミズムの面影を残す世界で物語は幕を開ける。もう一つの「失われた時を求めて」。過去のものの無化、存在するものの交替。そのなかで少年たちは何を見出すのか?

第十二章

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12-9

 犬たちは追ってくる。無数の歯が迫ってくる。逃げきれるだろうか。恐怖が襲ってくる。心臓が激しく打っている。胸がむかむかして、身体の奥が激しく掻きまわされているようだった。口から内臓が飛び出してきそうだった。足が絡みそうになる。先ほどまでの俊敏な足取りは失われている。いまの自分はいかにも鈍重な動物だった。
 一匹が飛びかかってきた。鋭い歯が足の肉を裂いた。痛みは感じなかった。ただ厭な感触だけがあった。馬鹿げている。何もかもが馬鹿げていると思った。

 いつもより遅くまで寝ていたらしい。部屋には朝の光が満ちている。身体全体が激しい運動をしたあとのように熱を帯びていた。長い道のりを駆けてきたような疲労感が残っている。寝巻きの袖をまくると腕に引っかき傷があった。血は赤黒く乾いている。立ち上がり裾のほうもはだけてみる。足の傷はもう少し深かった。何箇所か固まった血が、皮膚に粘土のようにこびりついている。
 どれもたいした傷ではない。手当をするほどのこともないだろう。だが表面的な傷以上に、健太郎は自分のどこか深いところに傷を負っている気がした。何かが壊れかけ、崩壊しようとしている。自分というものが、半分は自分だが、もう半分は自分ではないものに感じられた。自分のなかに未知の領域があり、そこから湧き出してくる謎が絶えず彼を引き込もうとするのだった。
 口数も少なく朝食を済ますと、いつもと同じように家を出た。今日も一日、この自分を生きなければならないことを耐え難く感じた。自分であることは恐ろしい。自分が自分であることこそ恐ろしい。この自分は、いつでも容易く自分以外のものになってしまう。自分が自分のまま、自分ではなくなってしまう。何かが飛び込んできたのだ。目には見えないもの。正体不明のものと、無理やり共生を強いられている気がした。
 午後の授業が退けても、朝の気分はつづいていた。田んぼでは刈り入れが終わり、乾いた土は短く裁断された茶褐色の藁に覆われている。その風景はどこか寒々としていた。夜のあいだに起こったことを思い返してみる。記憶は曖昧で、目が覚めたときにはほとんどかたちをとどめていなかった。異変は熱病のように彼のなかを通り過ぎていた。だが何かが起こったことは間違いない。眠っているあいだに……その証拠に全身に獣の臭いが染み付いている。顔や手足に無数の傷がある。森の匂いが強くなった。落ち葉や樹皮や腐葉土の匂いが迫ってくる。森のひときわ暗い場所から、何かが現れ出ようとしている。何が現れたのだろう?

片山恭一

愛媛県宇和島市生まれ、福岡県福岡市在住。小説家。九州大学農学部農政経済学科卒業。同大学院修士課程を経て、博士課程中退。大学院在学中の1986年、『気配』で文学界新人賞を受賞しデビュー。しかしその後1995年の『きみの知らないところで世界は動く』まで作品が単行本化されない不遇の時期を過ごす。代表作は、故郷の宇和島市を舞台にした『世界の中心で、愛をさけぶ』。2001年に出版、2004年5月には発行部数が国内単行本最多記録の306万部となった。

川上信也

1971年 愛媛県松山市生まれ。福岡および大分県竹田市白丹を拠点とするフリーのフォトグラファー。福岡大学建築学科卒業後、大分県くじゅうの法華院温泉山荘に1997年より5年間勤務。その間にくじゅうの風景写真、アジアの旅風景を撮り続ける。その後、プロ活動を開始し、様々な雑誌撮影に関わり、風景のみならず、自然光を生かしたポートレート、料理などの撮影を行う。定期的に写真集を出版し、写真展やトークショーも開催。

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