連載書き下ろし小説

なお、この星の上に

作:片山恭一

写真:川上信也

プロデュース・ディレクション:東裕治

昭和30年代はじめ、中国山地の山奥で未来のエネルギー資源とされる鉱床が発見される。全国的な注目を浴びて沸き立つ村の人たち、新しい考え方や価値観への戸惑い、変わっていく生活、失われていく伝統的な暮らし。そのなかを生きる健太郎を主人公とする4人の少年たち。彼らを取り巻く大人たち、自然、野生の動物。戦争の傷跡はなお色濃く残っている。死者の国と現世を往還する者たち。古い伝説とアニミズムの面影を残す世界で物語は幕を開ける。もう一つの「失われた時を求めて」。過去のものの無化、存在するものの交替。そのなかで少年たちは何を見出すのか?

第十二章

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12-8

「何が言いがかりか」
「間違っている」
「どこがどう間違っているのだ」一つの声が詰め寄った。
「何もかもが……」
「それこそおまえがサルである証拠なのだ」相手は諭すように言った。「おまえは誇り高い犬ではなく、かといって低俗な人間でもなく、中途半端なサルだから、おれたちの言うことが承服できないのだ。どうして醜いサルになどなろうとする」
「わしはサルではない」
「忘れたのか」声の主は無視してつづけた。「一緒に野山を駆けたころ、おれたちは団結して一つだった。一つのものだった。おまえはおれたちだった。怖いものなどなかった。他のことを考える必要はなかった。みんな純潔だった。清らかだった。ところがおまえは、もうおれたちと一つにはなれない」
「わしはおまえたちの仲間だ」
 いったい誰が喋っているのだ。いま喋っているのは何ものなのか。人間だろうか、それとも犬なのか。思考も言葉も自分を離れて「ここ」にはなかった。
「本当だな」相手は間合いを詰めた。
「本当だ」言い逃れを考える暇もなく、自分ではないものが答えた。「嘘ではない」
「それなら一緒に来い」命ずるように言った。
「どこへ」
「村だ。牛を襲いに行くのだ」
「なんのために、そんなことをする」
「忘れたか、仲間の掟を。牛を喰うことで、おれたちは結束を強める。一匹の牛の肉を分かち合い、おれたちは兄弟になる。一つに溶け合った、最強の生命体になる」
「味を覚えたな」思いつきが口をついて出た。
「妙なことを言う」
 あざけりと威嚇の言葉がつづいた。
「サルになりかけているからだ」
「愚かなやつめ」
「この場で喰い殺すべきだ」
「待て。わしの言うことを聞け」切羽詰って言った。「おまえたちは前にも牛を襲ったことがあるはずだ。牛の肉を食べだろう。あれは一度食べると病みつきになる。おまえたちにとって牛は危険な食べ物だ」
「ふん、サルになりかけているやつが大層なことを言う」
「とにかく村へは行くな」
「人間の味方をするのか」
「おれたちに牛を喰わせたくないのか」
 威嚇するような唸り声が一斉に上がった。
「違う。人間は鉄砲を持っている」
「知っているとも」
「当たるものか」
「人間には思い知らせてやれなければならない」
「散弾銃だぞ」苦し紛れに言った。
「なんだ、それは」
「飛ぶ鳥さえも撃ち落とす恐ろしい武器だ」
「恐ろしくなどない。おれたちは一つだ。一つのものだ。個々の生命は問題ではない。命を落としても失われるものはない。おれたちに死はない。一つのものであるかぎり、おれたちが死ぬことはない。一つの生命体として不滅だ。思いわずらうことは何もない。正しい行動を起こすのだ。なすべきことをなせ。欲深く孤独では正しいことはできぬ。一人で考えるのは間違ったことだ。さあ、一緒に来い。正しい道を教えてやろう」
 一匹が飛び出した。他の犬たちもつづいた。
「来ないのか」
 近くの犬たちが強い憎悪を剥き出しにした。身構えたまま動かない。襲ってくるつもりだろうか。生命の危険を感じた。自分はいま敵に取り囲まれている。逃げなければならない。思考はまどろっこしく、すでに現実に遅れをとっている。意思とは関係なく弾かれたように駆け出した。どっちへ向かって走ればいいかわからなかった。鼻が利かない。もはやどんな匂いも嗅ぎ分けられない。もがくように木々のあいだを進んだ。ここから抜け出すことだけを考えていた。

片山恭一

愛媛県宇和島市生まれ、福岡県福岡市在住。小説家。九州大学農学部農政経済学科卒業。同大学院修士課程を経て、博士課程中退。大学院在学中の1986年、『気配』で文学界新人賞を受賞しデビュー。しかしその後1995年の『きみの知らないところで世界は動く』まで作品が単行本化されない不遇の時期を過ごす。代表作は、故郷の宇和島市を舞台にした『世界の中心で、愛をさけぶ』。2001年に出版、2004年5月には発行部数が国内単行本最多記録の306万部となった。

川上信也

1971年 愛媛県松山市生まれ。福岡および大分県竹田市白丹を拠点とするフリーのフォトグラファー。福岡大学建築学科卒業後、大分県くじゅうの法華院温泉山荘に1997年より5年間勤務。その間にくじゅうの風景写真、アジアの旅風景を撮り続ける。その後、プロ活動を開始し、様々な雑誌撮影に関わり、風景のみならず、自然光を生かしたポートレート、料理などの撮影を行う。定期的に写真集を出版し、写真展やトークショーも開催。

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