連載書き下ろし小説
なお、この星の上に
写真:川上信也
プロデュース・ディレクション:東裕治
昭和30年代はじめ、中国山地の山奥で未来のエネルギー資源とされる鉱床が発見される。全国的な注目を浴びて沸き立つ村の人たち、新しい考え方や価値観への戸惑い、変わっていく生活、失われていく伝統的な暮らし。そのなかを生きる健太郎を主人公とする4人の少年たち。彼らを取り巻く大人たち、自然、野生の動物。戦争の傷跡はなお色濃く残っている。死者の国と現世を往還する者たち。古い伝説とアニミズムの面影を残す世界で物語は幕を開ける。もう一つの「失われた時を求めて」。過去のものの無化、存在するものの交替。そのなかで少年たちは何を見出すのか?
第十二章
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12-7
逃げるべきかとどまるべきか、判断する間もなく囲まれていた。野犬の群れだった。何匹くらいいるのかわからない。隊列をなすようにして取り囲んでいる。いまのところ襲ってくる様子はない。じっとこっちを見ている。首領らしい一匹が口をきいた。
「おまえ、人間臭いな」
人ではないものが人間の言葉を喋っている。人間の言葉で「おまえは人間臭い」と言う。そう言うおまえたちは何ものなのか。
「アツシか」
たずねるとも名指すともつかない言い方になっていた。
「ほら見ろ。こいつはアツシという名前だ」声の主が勝ち誇ったように言った。
「おまえはアツシなんだろう?」口をきいたものに向かって言葉を放った。
「おれたちに名前はない」別の一匹が答えた。「名前など必要ない。なぜならおれたちは一つのものだからだ。一つの生命体として、名前などというものは片っ端から呑み込んで粉々にする。名前を欲しがるのは欲深いサルくらいだ」
「何を言っているのだ」
「おまえこそ何を喋っている」嘲りを含んだ声が返ってきた。「おまえは野犬の誇りと結束を忘れてサルになろうとしている。姿かたちこそ野犬だが、心はサルになっている」
「違う」身の証を立てるように言った。「わしは人間だ」
笑い声が起こった。
「おまえが人間だと」声の主は小馬鹿にしたような抑揚をつけた。「よかろう、それならこの場で喰い殺してやる」
「そうだ。人間はおれたちの敵だ」
声に呼応して、さらに多くの声がつづいた。
「人間は殺せ」
「鶏みたいに喰ってしまえ」
言葉通りの強い敵意は、いまのところ伝わってこなかった。ただ自分が無数の目によって凝視されているのを感じた。
「人間はおまえたちの敵ではない」弁明するように言った。
「それならどうしておれたちを狩る」
「わしはそんなことはせん」
「いかにも、おまえはそんなことはしない。なぜなら、おまえは人間ではないからだ。おれたちと同じ野犬だ。だが心はサルになっている。あの欲深い動物に成り下がろうとしている。欲深い上に孤独なのだ。だから名前を呼ばれると振り向く。仲間がいないから名前を欲しがり、卑しげな名前とともに生きる。そうして人間に近づいていく。おまえはサルを経て人間になろうとしている」
「人間か」別の一匹が吐き捨てるように言った。「交尾のことしか頭にない低俗な生き物だ。生殖器の匂いに惑わされる馬鹿な動物、それが人間だ」
「言いがかりだ」
暗がりにいるものたちが鼻で笑った。
片山恭一
愛媛県宇和島市生まれ、福岡県福岡市在住。小説家。九州大学農学部農政経済学科卒業。同大学院修士課程を経て、博士課程中退。大学院在学中の1986年、『気配』で文学界新人賞を受賞しデビュー。しかしその後1995年の『きみの知らないところで世界は動く』まで作品が単行本化されない不遇の時期を過ごす。代表作は、故郷の宇和島市を舞台にした『世界の中心で、愛をさけぶ』。2001年に出版、2004年5月には発行部数が国内単行本最多記録の306万部となった。
川上信也
1971年 愛媛県松山市生まれ。福岡および大分県竹田市白丹を拠点とするフリーのフォトグラファー。福岡大学建築学科卒業後、大分県くじゅうの法華院温泉山荘に1997年より5年間勤務。その間にくじゅうの風景写真、アジアの旅風景を撮り続ける。その後、プロ活動を開始し、様々な雑誌撮影に関わり、風景のみならず、自然光を生かしたポートレート、料理などの撮影を行う。定期的に写真集を出版し、写真展やトークショーも開催。
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