連載書き下ろし小説

なお、この星の上に

作:片山恭一

写真:川上信也

プロデュース・ディレクション:東裕治

昭和30年代はじめ、中国山地の山奥で未来のエネルギー資源とされる鉱床が発見される。全国的な注目を浴びて沸き立つ村の人たち、新しい考え方や価値観への戸惑い、変わっていく生活、失われていく伝統的な暮らし。そのなかを生きる健太郎を主人公とする4人の少年たち。彼らを取り巻く大人たち、自然、野生の動物。戦争の傷跡はなお色濃く残っている。死者の国と現世を往還する者たち。古い伝説とアニミズムの面影を残す世界で物語は幕を開ける。もう一つの「失われた時を求めて」。過去のものの無化、存在するものの交替。そのなかで少年たちは何を見出すのか?

第十二章

最初から読む <

12-4

 いつのまにか遠くを見るような目になっている。それから長閑のどかにも聞こえる声でつづけた。
「大きな町はみんな爆撃を受けて、なんもかも焼かれるし、亡くなった人もたくさんおるいうことやった。うちらが働きよったところは軍需工場もない小さな町でな、幸い爆撃はまぬがれとった。爆弾さえ落とさんかったら、きれいなものやったよ」
「飛行機か」
「天気のええ日は機体が銀色に輝いてね」
「うち飛行機、見たことないわ」
「空襲警報はすぐに解除になった」と母親は話をつないだ。「ところが、その日はいつもとは違うて、一機だけが急に引き返してきたのよ。あっという間のことやった。地震みたいに地面が揺れて、ぐらぐらっときた瞬間にものすごい音がした。おかあちゃんたちは両手で目と耳を覆い地面に伏せた。爆弾が落ちたときには、そうするように訓練で習うとったけんね。目をあけたときには、黒い煙が立ち上って、そのなかを粉々になった建物やなんかの破片が舞いよった。昼間やのに夜みたいに真っ暗でね、夢でも見とるみたいやった」
「竜巻みたいな感じか」
「そんなふうやね」喋り疲れたような声だった。「映画や写真で見たのと同じ光景やった。これは大変なことになったと思うたのは、しばらく経ってからやった。あとでわかったことやけど、このときの爆弾で一つの町内がおおかた消し飛んでしもうとったのよ。怪我をした人らを運ぶトラックが町のなかを走りまわって、道路には死体の山が築かれとった。たった一つの爆弾で、百人以上の人が亡くなったいうことやった」
 健太郎は話に加わらずに、黙って飯を喰った。味はおろか、何を食べているのかもわからなかった。母親の空襲の話に、新吾の次兄の話が重なった。空襲直後の空気に残っている人々の恐怖、その恐怖を想像することは彼の能力を超えている。ただ音が聞こえた。つづいて映画の一場面のような光景が目に浮かんだ。
 聞こえているのは警報のサイレンの音だった。浮かんでいるのは煙のなかを逃げ惑う人々の姿だった。誰もが息を詰めて走っている。背後からは炎が迫ってくる。行く手にも火の手は上がっている。いくら走ったところで逃れ切れるものではない。立ち尽くし、膝を折り、うずくまる人がいる。地面に平たく伏せる人がいる。彼らの頭上から、凶悪なものがやって来る。空気を切り裂く音とともに、人も街も焼き尽くす円筒形の物体が襲いかかってくる。

片山恭一

愛媛県宇和島市生まれ、福岡県福岡市在住。小説家。九州大学農学部農政経済学科卒業。同大学院修士課程を経て、博士課程中退。大学院在学中の1986年、『気配』で文学界新人賞を受賞しデビュー。しかしその後1995年の『きみの知らないところで世界は動く』まで作品が単行本化されない不遇の時期を過ごす。代表作は、故郷の宇和島市を舞台にした『世界の中心で、愛をさけぶ』。2001年に出版、2004年5月には発行部数が国内単行本最多記録の306万部となった。

川上信也

1971年 愛媛県松山市生まれ。福岡および大分県竹田市白丹を拠点とするフリーのフォトグラファー。福岡大学建築学科卒業後、大分県くじゅうの法華院温泉山荘に1997年より5年間勤務。その間にくじゅうの風景写真、アジアの旅風景を撮り続ける。その後、プロ活動を開始し、様々な雑誌撮影に関わり、風景のみならず、自然光を生かしたポートレート、料理などの撮影を行う。定期的に写真集を出版し、写真展やトークショーも開催。

Copyright © bokuralab Design by Yuji Higashi