連載書き下ろし小説

なお、この星の上に

作:片山恭一

写真:川上信也

プロデュース・ディレクション:東裕治

昭和30年代はじめ、中国山地の山奥で未来のエネルギー資源とされる鉱床が発見される。全国的な注目を浴びて沸き立つ村の人たち、新しい考え方や価値観への戸惑い、変わっていく生活、失われていく伝統的な暮らし。そのなかを生きる健太郎を主人公とする4人の少年たち。彼らを取り巻く大人たち、自然、野生の動物。戦争の傷跡はなお色濃く残っている。死者の国と現世を往還する者たち。古い伝説とアニミズムの面影を残す世界で物語は幕を開ける。もう一つの「失われた時を求めて」。過去のものの無化、存在するものの交替。そのなかで少年たちは何を見出すのか?

第十一章

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11-1

 翌日、午前中で学校が終わると、健太郎は急いで家に帰った。いつもは一緒に帰宅する新吾や武雄には声をかけなかった。靴箱のところで会った豊が、来週からは昭も学校へ来るそうだと言った。豊はそうした情報に聡かった。おそらく母親の仕入れてくる話が耳に入るのだろう。短く言葉を交わしただけで、豊とも別れた。
 帰宅路を急ぎながら、昭の母親はもう退院したのだろうか、一緒に父親の事務所で仮住まいをしているだろうか、それとも新しい家を借りたのだろうか、と断片的に思いをめぐらせた。土曜の昼飯は何を食べるのだろう、日曜の昼はあいかわらずフレンチ・トーストだろうか、などと瑣末なことを深刻そうに思っていた。
 健太郎の家では、土曜の昼は干物が多かった。それに野菜の煮物と味噌汁が付く。だから土曜の昼には「おかずは何か」とたずねる必要はない。
 そそくさと食べ終え、湯呑に残った茶で口を漱いだ。
「なんをそんなに急いどるか」父親が食卓の向こうから咎めるように言った。
「友だちと約束がある」
「落ち着きがない子やね」母親は個人懇談で担任が言いそうなことを口にした。
「慌てて事故に遭うのやないぞ」と祖父が言葉を添えた。
 急ぐ必要はないのに、なぜか気持ちが慌ただしかった。早く行かないと、どこかへ行ってしまいそうだ。あの「アツシ」という名の少年が。おかしな感じ方だった。まるで自分がどこかへ行ってしまう気がする。このところ朝起きて洗面所の鏡を見ていると、鏡に映った自分が自分であって、自分でないように感じられることがある。鏡の内と外、見る者と見られる者が同じであって同じではない。鏡のなかの自分と、鏡の外の自分とが分裂している。二人の自分がいる。こことそこに……この家と暗い森のなかに。
 季節は秋になろうとしていた。山の木々は標高の高いところから色付きはじめている。季節が移り変わる。健太郎のなかには「移る」という感覚が乏しくて、「変わる」という感覚のほうが強かった。夏から秋へ、いつのまにか季節が変わっている。気がついたときには、すでに変化している。時間の経過が感じ取れないので、自分がどこにいるのかわからない気分になる。
 村も自然も、移ろうものから変わるものへ、慌ただしく変化し、変貌するものになろうとしている。その慌ただしさが、いまの自分を急き立てているのかもしれない、と健太郎は思った。この国全体が異質なものになろうとしているのだ。移ろうものから変わるものへ。村の暮らしも自然を司る時間の流れも速くなっている。いいことなのか悪いことなのかわからない。善し悪しを超えて、不可避なことにも思えた。

片山恭一

愛媛県宇和島市生まれ、福岡県福岡市在住。小説家。九州大学農学部農政経済学科卒業。同大学院修士課程を経て、博士課程中退。大学院在学中の1986年、『気配』で文学界新人賞を受賞しデビュー。しかしその後1995年の『きみの知らないところで世界は動く』まで作品が単行本化されない不遇の時期を過ごす。代表作は、故郷の宇和島市を舞台にした『世界の中心で、愛をさけぶ』。2001年に出版、2004年5月には発行部数が国内単行本最多記録の306万部となった。

川上信也

1971年 愛媛県松山市生まれ。福岡および大分県竹田市白丹を拠点とするフリーのフォトグラファー。福岡大学建築学科卒業後、大分県くじゅうの法華院温泉山荘に1997年より5年間勤務。その間にくじゅうの風景写真、アジアの旅風景を撮り続ける。その後、プロ活動を開始し、様々な雑誌撮影に関わり、風景のみならず、自然光を生かしたポートレート、料理などの撮影を行う。定期的に写真集を出版し、写真展やトークショーも開催。

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