連載書き下ろし小説
なお、この星の上に
写真:川上信也
プロデュース・ディレクション:東裕治
昭和30年代はじめ、中国山地の山奥で未来のエネルギー資源とされる鉱床が発見される。全国的な注目を浴びて沸き立つ村の人たち、新しい考え方や価値観への戸惑い、変わっていく生活、失われていく伝統的な暮らし。そのなかを生きる健太郎を主人公とする4人の少年たち。彼らを取り巻く大人たち、自然、野生の動物。戦争の傷跡はなお色濃く残っている。死者の国と現世を往還する者たち。古い伝説とアニミズムの面影を残す世界で物語は幕を開ける。もう一つの「失われた時を求めて」。過去のものの無化、存在するものの交替。そのなかで少年たちは何を見出すのか?
第十一章
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11-2
流れのなかで取り残される者がいる。うまく流れに乗って進む者がいる。無理に抗おうとする者がいる。自分はどこにいるのだろう。身近な例として源さんと自分の父、それに昭の父親を並べてみる。たとえて言えば、風車や水車をまわして暮らすのが源さんの流儀だ。これが石炭や石油を使う暮らしに変わろうとしている。新しい流儀を受け入れ、順応しようとしているのが父だ。将来は、昭の父親が携わっているような仕事が人々の暮らしを支えていくことになるかもしれない。先頭を歩いているのは昭の父親で、少し遅れて父がつづく。ずっと後ろに取り残されるようにして源さんがいる。
自然の力をそのまま使わせてもらうのが源さんの流儀だとすれば、自然から目当てのものを引っ張り出してくるのが昭の父親の流儀だ。大地を掘り起こし、地中に眠っている鉱石から必要なものを取り立てる。強引で暴力的なやり方だが、時代は昭の父親の流儀へ向かって進んでいくだろう。源さんのまわしにある自然は、昭の父親が作り出そうとしている新しい自然に取って代わられ、呑み込まれ、やがて姿を消していくだろう。
心情的には、健太郎は源さんの暮らしぶりに共感をおぼえた。他人に迷惑をかけず、無闇に自然を傷つけず、山や森や川の生き物たちを友とする生き方は健全で正しいものに思える。源さんと昭の父親の中間あたりに父を位置づけてみる。いまの自分は父とほぼ同じ位置にいる。そして少しずつ、昭の父親のほうへ近づいていこうとしている。抗いがたい力によって、好むと好まざるにかかわらず引き寄せられていく。
そこまで考えたところで、健太郎はなんとなく不愉快な気分になった。不可避な未来に規定されていることが不愉快だった。抗いがたい力に呑み込まれ、流されるようにして源さんの世界に背を向け、昭の父親の世界に向かって進んでいく自分が、どこか不正で信用できない者に感じられた。
人里離れたところにひっそりと建つ避病院は、まわりの自然と一つになってほとんど野生化しつつあるように見えた。隔離されていた病人の多くは、戦争中にどこかへ移送されたというが、村の人たちはそれについて多くを語りたがらなかった。とりわけ子どもたちの身の上については固く口を閉ざすようだった。戦後は空襲で家を焼かれた人たちの仮の住まいとなった。戦後の社会が落ち着いてくると、彼らも都会へ帰っていき、いまでは建物だけが廃墟然として残っている。
片山恭一
愛媛県宇和島市生まれ、福岡県福岡市在住。小説家。九州大学農学部農政経済学科卒業。同大学院修士課程を経て、博士課程中退。大学院在学中の1986年、『気配』で文学界新人賞を受賞しデビュー。しかしその後1995年の『きみの知らないところで世界は動く』まで作品が単行本化されない不遇の時期を過ごす。代表作は、故郷の宇和島市を舞台にした『世界の中心で、愛をさけぶ』。2001年に出版、2004年5月には発行部数が国内単行本最多記録の306万部となった。
川上信也
1971年 愛媛県松山市生まれ。福岡および大分県竹田市白丹を拠点とするフリーのフォトグラファー。福岡大学建築学科卒業後、大分県くじゅうの法華院温泉山荘に1997年より5年間勤務。その間にくじゅうの風景写真、アジアの旅風景を撮り続ける。その後、プロ活動を開始し、様々な雑誌撮影に関わり、風景のみならず、自然光を生かしたポートレート、料理などの撮影を行う。定期的に写真集を出版し、写真展やトークショーも開催。
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