連載書き下ろし小説

なお、この星の上に

作:片山恭一

写真:川上信也

プロデュース・ディレクション:東裕治

昭和30年代はじめ、中国山地の山奥で未来のエネルギー資源とされる鉱床が発見される。全国的な注目を浴びて沸き立つ村の人たち、新しい考え方や価値観への戸惑い、変わっていく生活、失われていく伝統的な暮らし。そのなかを生きる健太郎を主人公とする4人の少年たち。彼らを取り巻く大人たち、自然、野生の動物。戦争の傷跡はなお色濃く残っている。死者の国と現世を往還する者たち。古い伝説とアニミズムの面影を残す世界で物語は幕を開ける。もう一つの「失われた時を求めて」。過去のものの無化、存在するものの交替。そのなかで少年たちは何を見出すのか?

第十章

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10-6

「寝ぼけとったんやないか」会話を聞きつけた綾子が憎らしいことを言った。
 朝っぱらから相手をするのも鬱陶しいので、雨の話はそれで切り上げることにした。不可解な思いは後を引くこともなく、家を出るころには忘れていた。どこか虚ろな気分で授業を受け、最後の掃除を済ますとようやく学校が引けた。
 校門を出たところに少年がいた。健太郎は思わず門の陰に身を隠した。中学のグランドの横は広い原っぱになっており、そこにラジオの電波塔が建っている。相手は電波塔のコンクリートの建物に寄りかかっていた。とくに何をしているわけでもなく、ただぼんやりと立っている。こちらには気づいていないようだ。
 しばらく様子を窺っているうちに、ぶらぶらと歩きだした。あとをつけることにした。これといった目論見があったわけではない。ただ、そうせずにはいられなかった。石積みの垣根をめぐらせた農家が並んでいた。一軒一軒が広い地所を占めているため、人の気配はほとんどしない。ときおり牛や鶏の鳴き声が聞こえた。土塀の古い建物が多かった。道は石垣のあいだを縫うように曲がりくねっている。おかげで気づかれることもない。真っ直ぐな道がつづくところでは、相手の姿が見えなくなるまで間を置いた。
 急いでいる様子はないのに、少年の足は速かった。どこへ向かっているのだろう。歩き慣れているはずの道が、はじめてのように感じられた。都会ならまだしも、細い路地まで頭に入っている村で迷うはずがない。そう考える端から、道は行くほどに見知らぬ雰囲気になる。足を止めて、あたりを見まわしてみる。怪しいところは何もない。近くの家の表札を読んでみると、知っている名前だった。いまは高校に行っている兄と、下に中学生の妹がいるはずだ。そこまで確かめながら、どこかへ迷い込んでいくような気分を払えなかった。
 歩いていく自分が新奇なものに思えた。旧知の自分は先を歩いている。すたすたと脇目もふらずに歩いていく。その自分を追いかけきれない気がした。追いつこうとして追いつけない。奇妙な焦りにとりつかれて、知らぬうちに足を速めている。すると急ぐ足に不安がまとわりついてくる。ここで追いつけなければ自分がわからなくなる、正体の知れないものになってしまう。何かのはずみに、自分が自分ではなくなる……。
「わしを探しとるのか」
 目の前に少年が立っていた。

片山恭一

愛媛県宇和島市生まれ、福岡県福岡市在住。小説家。九州大学農学部農政経済学科卒業。同大学院修士課程を経て、博士課程中退。大学院在学中の1986年、『気配』で文学界新人賞を受賞しデビュー。しかしその後1995年の『きみの知らないところで世界は動く』まで作品が単行本化されない不遇の時期を過ごす。代表作は、故郷の宇和島市を舞台にした『世界の中心で、愛をさけぶ』。2001年に出版、2004年5月には発行部数が国内単行本最多記録の306万部となった。

川上信也

1971年 愛媛県松山市生まれ。福岡および大分県竹田市白丹を拠点とするフリーのフォトグラファー。福岡大学建築学科卒業後、大分県くじゅうの法華院温泉山荘に1997年より5年間勤務。その間にくじゅうの風景写真、アジアの旅風景を撮り続ける。その後、プロ活動を開始し、様々な雑誌撮影に関わり、風景のみならず、自然光を生かしたポートレート、料理などの撮影を行う。定期的に写真集を出版し、写真展やトークショーも開催。

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