連載書き下ろし小説
なお、この星の上に
写真:川上信也
プロデュース・ディレクション:東裕治
昭和30年代はじめ、中国山地の山奥で未来のエネルギー資源とされる鉱床が発見される。全国的な注目を浴びて沸き立つ村の人たち、新しい考え方や価値観への戸惑い、変わっていく生活、失われていく伝統的な暮らし。そのなかを生きる健太郎を主人公とする4人の少年たち。彼らを取り巻く大人たち、自然、野生の動物。戦争の傷跡はなお色濃く残っている。死者の国と現世を往還する者たち。古い伝説とアニミズムの面影を残す世界で物語は幕を開ける。もう一つの「失われた時を求めて」。過去のものの無化、存在するものの交替。そのなかで少年たちは何を見出すのか?
第十章
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10-5
あらためて周囲の物音に耳を澄ましてみる。鳥は鳴かない。虫の音も聞こえない。かわりに半鐘の音が蜃気楼のように立っている。いまも鳴りつづけている。人の叫びも上がっている。昭の母親だろうか。遠い声は性別すら判然としなかったが、すぐにも駆けつけたいような気持ちになっている。いったいどこへ駆けつけるつもりなのか。昭の家は焼けている。いま焼けているのは別の家だ。どこの家だろう。つぎに焼けるのは?
暗い天井に一つの顔が浮かんだ。
「あれが火を付けたのやろうか」
夕食のときに祖母が言ったことを思い出した。灰拾いの潔白を請け合う言葉は健太郎を安心させたが、一方で別の疑念を芽吹かせた。その疑念に眠りを遠ざけられて、いま布団のなかで半鐘の音を聞いている。聞こえるはずのない音を聞いている。
出火は夜中というから、時間的には辻褄が合う。なぜ昭の家に火を付けたのだろう。なんのためにそんなことをする。どこの家でもよかったのか。それとも昭の家でなければならなかったのか。火付けは犯罪だ。捕まれば刑務所に入れられる。子どもだからといって容赦はない。そこまで考えたところで、さすがに先走った憶測に眉をひそめた。
夜半を過ぎて雨が降りはじめた。雨だ、と気がついても、そこから先へ考えは進まなかった。雨のなかを影が通り過ぎていく。人なのか、それ以外のものなのか。深い静まりのなかで健太郎は身を固くした。遠い空間の広がりに、おそるおそる耳をやった。半鐘の音も、叫び声もいまは聞こえない。聞こえるのは屋根を打つ雨音だけだった。放心したまま時間が過ぎた。
待望の雨だ、とようやく思考が動きはじめた。村の人たちの気持ちになって、健太郎もまた人心地ついた気がした。やがてその安堵は日照りのことから離れていった。雨なら火付けはないだろう、と理屈に合っているのかいないのかわからないことを思った。近くの雑木林に降りかかる雨を頭に思い描くうち、眠りに落ちると朝まで夢も見なかった。
夜が明けるころには雨は上がっていた。日課の乳搾りのために表に出ると、地面の土は濡れてさえいない。不審に思って朝食のときにたずねてみた。
「雨か?」母親は怪訝な顔をした。
「降ったろう」
「降ってくれるとええがな」そう言ったきり、母親は忙しそうに朝の支度に戻った。
狐につままれた気分でいると、
「寝ぼけとったんやないか」会話を聞きつけた綾子が憎らしいことを言った。
片山恭一
愛媛県宇和島市生まれ、福岡県福岡市在住。小説家。九州大学農学部農政経済学科卒業。同大学院修士課程を経て、博士課程中退。大学院在学中の1986年、『気配』で文学界新人賞を受賞しデビュー。しかしその後1995年の『きみの知らないところで世界は動く』まで作品が単行本化されない不遇の時期を過ごす。代表作は、故郷の宇和島市を舞台にした『世界の中心で、愛をさけぶ』。2001年に出版、2004年5月には発行部数が国内単行本最多記録の306万部となった。
川上信也
1971年 愛媛県松山市生まれ。福岡および大分県竹田市白丹を拠点とするフリーのフォトグラファー。福岡大学建築学科卒業後、大分県くじゅうの法華院温泉山荘に1997年より5年間勤務。その間にくじゅうの風景写真、アジアの旅風景を撮り続ける。その後、プロ活動を開始し、様々な雑誌撮影に関わり、風景のみならず、自然光を生かしたポートレート、料理などの撮影を行う。定期的に写真集を出版し、写真展やトークショーも開催。
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