連載書き下ろし小説
なお、この星の上に
写真:川上信也
プロデュース・ディレクション:東裕治
昭和30年代はじめ、中国山地の山奥で未来のエネルギー資源とされる鉱床が発見される。全国的な注目を浴びて沸き立つ村の人たち、新しい考え方や価値観への戸惑い、変わっていく生活、失われていく伝統的な暮らし。そのなかを生きる健太郎を主人公とする4人の少年たち。彼らを取り巻く大人たち、自然、野生の動物。戦争の傷跡はなお色濃く残っている。死者の国と現世を往還する者たち。古い伝説とアニミズムの面影を残す世界で物語は幕を開ける。もう一つの「失われた時を求めて」。過去のものの無化、存在するものの交替。そのなかで少年たちは何を見出すのか?
第十章
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10-4
家に帰ると、妹の綾子が「ガーグー」が捕まったと言った。夕食の時間だった。家族の全員が揃った食卓で、妹は健太郎に向けて話を持ち出した。昭の家に火をつけた疑いだという。町の警察署から刑事が来て、彼を引っ張っていったらしい。
「灰拾いは犯人やない」思ってもみたかった言葉が口をついて出た。
「なせ、そんなことがわかるんか」綾子は怪訝な顔でたずねた。
「なせでも、わかるもんはわかる」
この妹が相手だと、いつも感情的になる。こちらの神経を逆撫でするものがあるらしい。厭わしいことだ、と健太郎は思った。彼は妹が苦手だった。冷静になるために、しばらく口を噤んでいようと思った。すると綾子は、
「兄ちゃんは本当の犯人を知っとるんか」と詰め寄ってきた。
「知っとるわけないやろう」
「そんならなせ、ガーグーを庇うんか」あたかも灰拾いが犯人のような言い方をする。
「庇うとるわけやない。おまえのほうこそガーグーが犯人いう証拠でもあるんか」
「そんなこと知らんわ」
「証拠もないのに犯人扱いするのは民主主義やないな」
綾子は憎々しげに兄を見たものの言葉は返さなかった。自分の頭から出たものとも思えない言葉だったが、妹の好きな「民主主義」で一本取れて健太郎は気分が良かった。
「おばあちゃんも灰せせりの仕業やないと思うな」祖母がどちらの肩を持つわけでもなく穏やかに言った。「あれは言葉が不自由なかわいそうな男でね。口は利かれんが、悪い人間やない。人の家に火をつけるようなことはせんよ」
「普段やっとることは、あんまり褒められることやないですけどな」父親が言葉を添えた。
副業のことを言っているらしい。
「骨を食べとるよ」と綾子は言った。
そんなことを信じるほどに妹は愚かなのだ、と健太郎はいくらかの憐憫をまじえて思った。
「やっぱり火付けかの」祖父が言った。
「警察はそう見ておるようですな」父親は感情をあらわさずに答えた。「最初に駆けつけた消防団の人らが言うには、火は家の外側からまわっとるそうなんで」
「どっちにしても犯人を見つけんことには安心できんの」そう言って、祖父はちらりと健太郎のほうを見た。
その夜、寝床のなかで健太郎は半鐘の音を聞いた気がした。もちろん錯覚だ。そう思ってみても、音の余韻はいつまでも耳の奥に残りつづけた。「幻聴」という言葉を思い浮かべた。脳のどこかで生まれるらしい音は、予言めいた色合いを帯びている。平穏無事であることも恐ろしい、と彼は思った。この静けさが破られる瞬間こそ恐ろしい。そんな奇妙な感じ方のなかにいた。
片山恭一
愛媛県宇和島市生まれ、福岡県福岡市在住。小説家。九州大学農学部農政経済学科卒業。同大学院修士課程を経て、博士課程中退。大学院在学中の1986年、『気配』で文学界新人賞を受賞しデビュー。しかしその後1995年の『きみの知らないところで世界は動く』まで作品が単行本化されない不遇の時期を過ごす。代表作は、故郷の宇和島市を舞台にした『世界の中心で、愛をさけぶ』。2001年に出版、2004年5月には発行部数が国内単行本最多記録の306万部となった。
川上信也
1971年 愛媛県松山市生まれ。福岡および大分県竹田市白丹を拠点とするフリーのフォトグラファー。福岡大学建築学科卒業後、大分県くじゅうの法華院温泉山荘に1997年より5年間勤務。その間にくじゅうの風景写真、アジアの旅風景を撮り続ける。その後、プロ活動を開始し、様々な雑誌撮影に関わり、風景のみならず、自然光を生かしたポートレート、料理などの撮影を行う。定期的に写真集を出版し、写真展やトークショーも開催。
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