連載書き下ろし小説

なお、この星の上に

作:片山恭一

写真:川上信也

プロデュース・ディレクション:東裕治

昭和30年代はじめ、中国山地の山奥で未来のエネルギー資源とされる鉱床が発見される。全国的な注目を浴びて沸き立つ村の人たち、新しい考え方や価値観への戸惑い、変わっていく生活、失われていく伝統的な暮らし。そのなかを生きる健太郎を主人公とする4人の少年たち。彼らを取り巻く大人たち、自然、野生の動物。戦争の傷跡はなお色濃く残っている。死者の国と現世を往還する者たち。古い伝説とアニミズムの面影を残す世界で物語は幕を開ける。もう一つの「失われた時を求めて」。過去のものの無化、存在するものの交替。そのなかで少年たちは何を見出すのか?

第十章

最初から読む <

10-3

 病院は町役場と郵便局の近くにある。受付で「内藤」という名前を告げると、すぐに病室を教えてくれた。身内の者とでも思われたのか、素性をたずねられることもない。深刻な容態ではないらしいことに、ひとまず健太郎は安堵した。
 教えられた病室には迷わずに行き着いた。開け放たれたドアから室内が見えた。昭の母親はベッドの上で雑誌を広げていた。入る前に声をかけると、彼女は手元から顔を上げ、健太郎の姿を認めて一瞬驚いた表情になった。
「最上くん、だったわね」
 母親は自信なさそうに姓を口にした。健太郎が頷くと、
「お見舞いに来てくれたの」たずねる声に意外さをにじませた。
 顔に何箇所か火傷の痕らしいものがあったが、いずれもひどいものではなかった。間遠まどおに話をつなぎながら、母親は火事の様子に言葉を向けた。最初は何が起こったのかわからなかった。煙で目があけていられないほど痛んだ。息もできない。庭に出ると頭から火の粉が降りかかってきた。そのとき顔に火傷をしたらしい。幸い火傷は軽かった。ただ煙を吸って肺を傷めている可能性があるので、しばらく入院して様子を見たほうがいいということになった。
「退院したところで家もないしね」と母親は言った。
「昭くんは大丈夫ですか」
「あの子はしっかりしたものでね。安全なところまで避難したあと、わたしのほうが動揺して泣き出してしまって。お母さん、大丈夫だからといたわってくれましたよ」
 いかにも昭らしい、と健太郎は思った。そんな級友のことを誇らしく思った。いまは町はずれの父親の事務所にいるという。仮設の小さな建物だが、寝泊りできる部屋が付いており、二人はそこで自炊生活をしているらしい。少し落ち着いたら新しい家を借りることになるだろう、と母親は言った。
「東京には戻らんのですね」健太郎がたずねると、
「それも考えたんだけど」母親は思案顔になった。「こっちに来てまだ半年ほどでしょう。引越しをするのも面倒だしね」
 それきり静まって、長いあいだ窓の外を見ていた。部屋のなかが急に薄暗くなったように感じられた。暇を告げるつもりで腰を上げた。
「とにかく無事でよかったです」
「ありがとう」母親はあどけないように笑った。
 外に出ると、山並みがオレンジ色に染まりはじめていた。足取りを早めた途端、止まっていた時間が流れだした。帰路につきながら、昭のことなら大丈夫だ、と健太郎は思った。自分たちが心配するほどのことはない。新吾や武雄にはそう告げよう。

片山恭一

愛媛県宇和島市生まれ、福岡県福岡市在住。小説家。九州大学農学部農政経済学科卒業。同大学院修士課程を経て、博士課程中退。大学院在学中の1986年、『気配』で文学界新人賞を受賞しデビュー。しかしその後1995年の『きみの知らないところで世界は動く』まで作品が単行本化されない不遇の時期を過ごす。代表作は、故郷の宇和島市を舞台にした『世界の中心で、愛をさけぶ』。2001年に出版、2004年5月には発行部数が国内単行本最多記録の306万部となった。

川上信也

1971年 愛媛県松山市生まれ。福岡および大分県竹田市白丹を拠点とするフリーのフォトグラファー。福岡大学建築学科卒業後、大分県くじゅうの法華院温泉山荘に1997年より5年間勤務。その間にくじゅうの風景写真、アジアの旅風景を撮り続ける。その後、プロ活動を開始し、様々な雑誌撮影に関わり、風景のみならず、自然光を生かしたポートレート、料理などの撮影を行う。定期的に写真集を出版し、写真展やトークショーも開催。

Copyright © bokuralab Design by Yuji Higashi