連載書き下ろし小説

なお、この星の上に

作:片山恭一

写真:川上信也

プロデュース・ディレクション:東裕治

昭和30年代はじめ、中国山地の山奥で未来のエネルギー資源とされる鉱床が発見される。全国的な注目を浴びて沸き立つ村の人たち、新しい考え方や価値観への戸惑い、変わっていく生活、失われていく伝統的な暮らし。そのなかを生きる健太郎を主人公とする4人の少年たち。彼らを取り巻く大人たち、自然、野生の動物。戦争の傷跡はなお色濃く残っている。死者の国と現世を往還する者たち。古い伝説とアニミズムの面影を残す世界で物語は幕を開ける。もう一つの「失われた時を求めて」。過去のものの無化、存在するものの交替。そのなかで少年たちは何を見出すのか?

第十五章

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15-8

 右手の涸れ谷の影が深くなっている。日が傾くと、急速に寒気がやって来る。だが二人がいる場所に落ちる日差しは暖かい琥珀色だった。遅い午後の光には、なお不思議な力が満ちていた。
「最近、いろんなことがつまらんな」しばらくして清美は言った。「健太郎はそんな気がせんか」
「なせかの」答えるかわりに問いを重ねた。
「なせかな」彼女はわずかに下顎を持ち上げるようにして、「学校も家も自分が住んどるとこも、なんやらつまらん」と少し拗ねたように言った。
 乾いた草の匂いのなかに、彼女の声がぽつんぽつんと小さな花を咲かせていく気がした。
「小学校のときに、鉱山で働く人らの前で作文を読んだことがあったやろ」清美は昔のことに言葉を向けた。「あのときは、こんなふうになるとは思わんかった」
「こんなふうとはどんなふうか」
「もうちっと面白かった気がする。毎日いろんなことが起こって面白かった」
「いまもいろんなことが起こりよる」
「たいていはつまらんことじゃね」清美は見切りをつける口ぶりで言った。「つまらんことばっかり起こりよる」
 健太郎は小学生のころの清美をおぼえていた。ときどき現在の彼女が透明になって、小学生のころの彼女があらわれる。だが、いま彼が見ているのは現在の清美だった。いつのまにか大人びて、どうかすると戸惑いをおぼえるほど綺麗になった清美だった。戸惑いは悲しみに調べを転じ、悲しみは切ないような気持ちと溶け合っていた。
「清美」と名前を呼んだ。
「なんよ、あらたまって」
 彼女は不審そうに健太郎を見た。彼は自分が何を言おうとしていたのかわからなくなった。
「おまえは田んぼの稲みたいに成長が早いな」
 相手は透明な目で健太郎を見ていた。やがて眉のあいだに軽く皺を寄せ、
「またおかしなことを言う。いつもそうやってうちをからかうんやね」とそっぽを向いた。
 健太郎は近くの雑木林に目をやった。先ほどまでは見えなかったものが目に入ってきた。真っ赤に色づいているのはハゼやウルシの仲間だろうか。茶色っぽいのはクヌギだ。クヌギは短いあいだ美しい黄色になる。それからすぐに茶色になる。ツタが赤く色づいている。カラスウリの実が赤く輝いている。ガガイモの実が裂けて、なかからタンポポのような白い綿毛をもつ種子が飛び出している。いま目にしているものが、すでに懐かしく感じられた。

片山恭一

愛媛県宇和島市生まれ、福岡県福岡市在住。小説家。九州大学農学部農政経済学科卒業。同大学院修士課程を経て、博士課程中退。大学院在学中の1986年、『気配』で文学界新人賞を受賞しデビュー。しかしその後1995年の『きみの知らないところで世界は動く』まで作品が単行本化されない不遇の時期を過ごす。代表作は、故郷の宇和島市を舞台にした『世界の中心で、愛をさけぶ』。2001年に出版、2004年5月には発行部数が国内単行本最多記録の306万部となった。

川上信也

1971年 愛媛県松山市生まれ。福岡および大分県竹田市白丹を拠点とするフリーのフォトグラファー。福岡大学建築学科卒業後、大分県くじゅうの法華院温泉山荘に1997年より5年間勤務。その間にくじゅうの風景写真、アジアの旅風景を撮り続ける。その後、プロ活動を開始し、様々な雑誌撮影に関わり、風景のみならず、自然光を生かしたポートレート、料理などの撮影を行う。定期的に写真集を出版し、写真展やトークショーも開催。

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