連載書き下ろし小説
なお、この星の上に
写真:川上信也
プロデュース・ディレクション:東裕治
昭和30年代はじめ、中国山地の山奥で未来のエネルギー資源とされる鉱床が発見される。全国的な注目を浴びて沸き立つ村の人たち、新しい考え方や価値観への戸惑い、変わっていく生活、失われていく伝統的な暮らし。そのなかを生きる健太郎を主人公とする4人の少年たち。彼らを取り巻く大人たち、自然、野生の動物。戦争の傷跡はなお色濃く残っている。死者の国と現世を往還する者たち。古い伝説とアニミズムの面影を残す世界で物語は幕を開ける。もう一つの「失われた時を求めて」。過去のものの無化、存在するものの交替。そのなかで少年たちは何を見出すのか?
第十一章
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草の上に踏み跡がついていた。ほとんど人が通らない道が森のほうへ延びている。どこへ向かっているのかわからなかった。この道は少年だけが知っている。目にする光景の一つひとつは見知ったものなのに、それらを地理的な認識に結びつけることができなくなっていた。
「遠いんか」先を行く背中に言葉を投げた。
「たいして遠ない」
少年は散歩でもするように寛いだ足取りで歩いていく。疲れも知らない歩調で歩いていく、と健太郎には思えた。一緒に歩いているというよりも、後をつけている気分が強かった。こちらが足を早めても、距離が縮まらないのが不思議だった。「分身」という言葉が頭をかすめた。あいつはどこからかやって来た、わしの分身ではないだろうか。自分の影を踏むことができないように、いくら追いかけても追いつくことはできない。素早く前方にまわり込んで見れば、鏡に映るのと変わらない顔が「おまえは誰だ」と見返しそうな気がした。
「どこまで行くんか」引き止めるようにたずねた。
「もう少しじゃ」
やがて森が開けてきた。木立がまばらになり明るい場所に出た。見覚えのない場所だった。避病院からそれほど来ていないはずなのに、周囲の山の形容に見知った感じがつきまとってこない。このあたりの山は「丸山」とか「鋸山」とか、たいてい目立った特徴から名前がつけられている。いま目にしている山はどれも同じに見えた。
「このへんはなんというのか」
「雲の平」
聞いたことのない地名だった。
「ここに住んでおるのか」
それには答えずに、
「こっちへ来い」少年は先導するように言った。
荒れた田畑のなかに打ち捨てられた集落が見えた。新吾の次兄が暮らしている高台の村に似ていたが、場所は方角からして違っている。集落全体が静まり返っていた。どの家にも人は住んでいないらしく、もともと粗末な造りの建物は荒れ果てたまま戸口を閉ざしている。
「入れ」一軒の家の前まで来ると、少年は引き戸を開けて命ずるように言った。
「おまえの家か」
「わしの家ではないが、わしが住んどる」面倒くさそうに言って、さっさとなかへ入った。
靴を脱いで上がると、廊下の先が六畳ほどの部屋になっていた。部屋は湿っぽくてかび臭かった。綿埃か濡れ雑巾のような臭いも混じっている。
「一人で住んどるのか」健太郎は足を踏み入れた場所に突っ立ったまま家のなかを見まわした。
「そうよ」少年は擦り切れた畳の上に腰を下ろしながら答えた。
「家族は」
「おらん」
「どうした」
「死んだ」
片山恭一
愛媛県宇和島市生まれ、福岡県福岡市在住。小説家。九州大学農学部農政経済学科卒業。同大学院修士課程を経て、博士課程中退。大学院在学中の1986年、『気配』で文学界新人賞を受賞しデビュー。しかしその後1995年の『きみの知らないところで世界は動く』まで作品が単行本化されない不遇の時期を過ごす。代表作は、故郷の宇和島市を舞台にした『世界の中心で、愛をさけぶ』。2001年に出版、2004年5月には発行部数が国内単行本最多記録の306万部となった。
川上信也
1971年 愛媛県松山市生まれ。福岡および大分県竹田市白丹を拠点とするフリーのフォトグラファー。福岡大学建築学科卒業後、大分県くじゅうの法華院温泉山荘に1997年より5年間勤務。その間にくじゅうの風景写真、アジアの旅風景を撮り続ける。その後、プロ活動を開始し、様々な雑誌撮影に関わり、風景のみならず、自然光を生かしたポートレート、料理などの撮影を行う。定期的に写真集を出版し、写真展やトークショーも開催。
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