連載書き下ろし小説

なお、この星の上に

作:片山恭一

写真:川上信也

プロデュース・ディレクション:東裕治

昭和30年代はじめ、中国山地の山奥で未来のエネルギー資源とされる鉱床が発見される。全国的な注目を浴びて沸き立つ村の人たち、新しい考え方や価値観への戸惑い、変わっていく生活、失われていく伝統的な暮らし。そのなかを生きる健太郎を主人公とする4人の少年たち。彼らを取り巻く大人たち、自然、野生の動物。戦争の傷跡はなお色濃く残っている。死者の国と現世を往還する者たち。古い伝説とアニミズムの面影を残す世界で物語は幕を開ける。もう一つの「失われた時を求めて」。過去のものの無化、存在するものの交替。そのなかで少年たちは何を見出すのか?

第六章

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「猟師も樵も、山の仕事はいろいろときまりがあって煩わしいの」武雄の荷物を漫然と眺めながら健太郎は言った。「山の神さまにお供えをせねばならんとか、口笛を吹いてはならんとか、森を抜けるまで口をきいてはならんとか」
「川へ行ったときには、深い淵を覗いてはならん」豊が付け加えた。
「そりゃあ、おまえが川に落ちんための用心じゃ」と新吾が言った。
「底が見えんような深い淵には、山川の生き物や霊が集まって神さまになるらしい」豊は聞き流してつづけた。「神さまは人間が見るもんではないいうことだの」
 豊かの言葉に、四人は神妙な顔で黙り込んだ。山に神や精霊がいることは、小さいころから折節に言い聞かされている。死んだ者の霊が集まるとも言われていた。人が死ぬと、霊魂は身体を抜け出す。しばらくは近くの里山に留まり、それから少しずつ神に近づきながら山を登っていく。頂きまで登ったときには神さまになっている。山に入ることは、死者の霊や祖先の霊に出会うことでもあった。
「そろそろ行くか」武雄が立ち上がって言った。
 他の三人も腰を上げた。
「見つかるかの、吉右衛門爺さん」その口ぶりからして、新吾は見つからないと思っているみたいだった。
「何か手がかりでも見つかればええがの」健太郎はどっちつかずの気持ちで言った。

 深い山の高台に、戦争中に開拓団の人たちによって拓かれた村がある。そのころ作られた田畑の大半は、いまでは打ち捨てられている。新吾の次兄は、荒れた土地のいくらかを耕作して、米や野菜を育てながら一人で暮らしているという。
 新吾には二人の兄がおり、長兄は勇で次兄は衛という。上の二人が一文字なのに、自分だけ二文字の名前であることが、本人は長いあいだ腑に落ちなかった。ひょっとして腹違いの子どもではないか、と半ば本気で疑ってみたりもした。あるとき思い切って母親にたずねた。
「戦争が終わって生まれた子どもやけん、新しいいう字を入れることにしたそうな」新吾は母親の言葉をそのまま伝えた。「父ちゃんの考えじゃ。わしの名前は新しい自分いう意味らしい」
「新吾の親父さんは、なかなかものを考える人だの」健太郎が言うと、
「親はみないろんなことを考えとる」新吾は大人びた口ぶりで答えた。

片山恭一

愛媛県宇和島市生まれ、福岡県福岡市在住。小説家。九州大学農学部農政経済学科卒業。同大学院修士課程を経て、博士課程中退。大学院在学中の1986年、『気配』で文学界新人賞を受賞しデビュー。しかしその後1995年の『きみの知らないところで世界は動く』まで作品が単行本化されない不遇の時期を過ごす。代表作は、故郷の宇和島市を舞台にした『世界の中心で、愛をさけぶ』。2001年に出版、2004年5月には発行部数が国内単行本最多記録の306万部となった。

川上信也

1971年 愛媛県松山市生まれ。福岡および大分県竹田市白丹を拠点とするフリーのフォトグラファー。福岡大学建築学科卒業後、大分県くじゅうの法華院温泉山荘に1997年より5年間勤務。その間にくじゅうの風景写真、アジアの旅風景を撮り続ける。その後、プロ活動を開始し、様々な雑誌撮影に関わり、風景のみならず、自然光を生かしたポートレート、料理などの撮影を行う。定期的に写真集を出版し、写真展やトークショーも開催。

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