連載書き下ろし小説

なお、この星の上に

作:片山恭一

写真:川上信也

プロデュース・ディレクション:東裕治

昭和30年代はじめ、中国山地の山奥で未来のエネルギー資源とされる鉱床が発見される。全国的な注目を浴びて沸き立つ村の人たち、新しい考え方や価値観への戸惑い、変わっていく生活、失われていく伝統的な暮らし。そのなかを生きる健太郎を主人公とする4人の少年たち。彼らを取り巻く大人たち、自然、野生の動物。戦争の傷跡はなお色濃く残っている。死者の国と現世を往還する者たち。古い伝説とアニミズムの面影を残す世界で物語は幕を開ける。もう一つの「失われた時を求めて」。過去のものの無化、存在するものの交替。そのなかで少年たちは何を見出すのか?

第五章

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5-8

「綾子は学校でいろいろと難しいことを習うとるの」祖父が感心したように言った。「この前は民主主義で、今度は歴史の進歩か」
「昔はな、自由は王様やお殿様や、かぎられた人にしかなかったんよ」綾子は担任の受け売りをはじめた。「自分のかわりに洗濯したり、ご飯を炊いたりしてくれる人がおったおかげで、その人らは自由にしておられたけど、ほとんどの人は王様やお殿様の自由のために働かされて不自由やった。これからは機械が人間に代わっていろんなことをしてくれるようになるから、身分の高い人だけやのうて、普通の人も自由になっていく。そうして一人ひとりが自由になっていくことが歴史の進歩なんよ」
「なかなか偉い先生みたいだの」
「うちもそう思う」
「しかし機械も、タダやないけんね」母親が水を差すように言った。「電気洗濯機もだいぶ高いものやし。そのお金を稼ぐためには、やっぱり働かなならんわね」
「人のために働くのやないけん、うちはええ思うな。王様やお殿様のために働くのはいややけど、自分のために働くんなら、うちはええわ。うちだけやのうて、みんな一生懸命に働くと思うな」
「うん、たしかにそうかもしれん」と祖父は言った。
「あのな、うちらの農業でも、いまは田植えを一緒にやっとるけど、そのうち機械で田植えができるようになったら、一人で好きなときに田植えができる。自分とこはお米以外のものを作ろうとか、一人ひとりがいろいろ工夫してできるようになるやろ。そしたら働くことがもっと楽しくなると思うな。人間はみんな性格も違うし考え方も違う。そやから本当は、一人ひとりが自分のしたいことをして、好きなように生きるのがいちばん幸せなんよ」
「それも学校の先生が言いなさったか」祖父はたずねた。
「これはうちの考えじゃよ」
「惣一郎」祖父は息子に向かって真顔で言った。「綾子は政治家にしたらええかもしれんな」
 健太郎はなんだか妬ましい気分になった。自分が妹に遅れをとっている気がした。つい数年前まで、たいていのことは信じ込ませることができた。捨て子の話みたいな、たわいない嘘で容易に泣かせることができた。
 ところがいまや、一家でいちばん立派なことを言っているのは、年齢的に幼い妹だった。祖父の言うように天賦の才があるのかもしれない。大半は学校の先生からの受け売りと思ってみても、健太郎は妹にたいして目に見えない重圧を感じた。

 その夜、布団のなかで健太郎が考えたのは、しかし何かと癪にさわる妹のことではなく、多賀清美のことだった。どうしてなのかわからない。ただ自然に、彼女のことを考えていた。
 清美とは小学生のころからの幼馴染だった。特別に仲が良かったわけではないが、もともと生徒の数が少ない小学校なので、同性異性の区別もなく交わってきた。中学へ進むころから、どことなく清美の態度がよそよそしくなった。そのことを健太郎は不満とも不愉快とも思わずに来た。そういうものだと思っていた。

片山恭一

愛媛県宇和島市生まれ、福岡県福岡市在住。小説家。九州大学農学部農政経済学科卒業。同大学院修士課程を経て、博士課程中退。大学院在学中の1986年、『気配』で文学界新人賞を受賞しデビュー。しかしその後1995年の『きみの知らないところで世界は動く』まで作品が単行本化されない不遇の時期を過ごす。代表作は、故郷の宇和島市を舞台にした『世界の中心で、愛をさけぶ』。2001年に出版、2004年5月には発行部数が国内単行本最多記録の306万部となった。

川上信也

1971年 愛媛県松山市生まれ。福岡および大分県竹田市白丹を拠点とするフリーのフォトグラファー。福岡大学建築学科卒業後、大分県くじゅうの法華院温泉山荘に1997年より5年間勤務。その間にくじゅうの風景写真、アジアの旅風景を撮り続ける。その後、プロ活動を開始し、様々な雑誌撮影に関わり、風景のみならず、自然光を生かしたポートレート、料理などの撮影を行う。定期的に写真集を出版し、写真展やトークショーも開催。

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