連載書き下ろし小説

なお、この星の上に

作:片山恭一

写真:川上信也

プロデュース・ディレクション:東裕治

昭和30年代はじめ、中国山地の山奥で未来のエネルギー資源とされる鉱床が発見される。全国的な注目を浴びて沸き立つ村の人たち、新しい考え方や価値観への戸惑い、変わっていく生活、失われていく伝統的な暮らし。そのなかを生きる健太郎を主人公とする4人の少年たち。彼らを取り巻く大人たち、自然、野生の動物。戦争の傷跡はなお色濃く残っている。死者の国と現世を往還する者たち。古い伝説とアニミズムの面影を残す世界で物語は幕を開ける。もう一つの「失われた時を求めて」。過去のものの無化、存在するものの交替。そのなかで少年たちは何を見出すのか?

第三章

3-3

 祖父がまだ若いころのことだという。村の娘が忽然と姿を消した。以来、一人として娘を見た者はいなかった。村の者たち総出で川を浚い、山狩りをして捜索したけれど手がかりはつかめない。神隠しにあったのだろう、と人々は噂しあった。天狗に連れて行かれたのだと言う者もあった。子どもがいなくなると、昔はたいて神隠しのせいにされた。当時はそれほど珍しい事例でもなかったらしい。
 消えた子どもたちは、なんらかのかたちで発見されることが多かった。数日後に遠方の町や村を歩いていたり、目も眩むような高い木の枝に坐っていたり。何年も消息を絶っていた子が、成長してひょっこり戻ってくることもあった。ちょっと変わった子どもが神隠しにあうことが多かったという。いつも一人で山のなかで遊んでいたり、大人たちが奇異に思うほど動物と仲が良かったり。先に起こることを言い当てるような、霊感の強い子どもよく神隠しにあった。
「健太郎も神隠しにあわんよう、気をつけなならんぞ」と祖父は言った。「天狗さまは、健太郎みたいな子どもが好きだけんの」
「わしは変わった子やない」彼は身におぼえのない思いで言い返した。
 ときどき嘘とも本当もつかないような話をして、幼い孫たちを怖がらせるのは祖父の悪い癖だった。そんな祖父にくらべると、父親の惣一郎にはいくらか辛気臭いところがあった。まず寡黙と言ってもいいくらい口数が少ない。何かたずねられても軽々しくは答えない。かならず難しい顔をして考えている。こういう父が口を開くと、多くの者は納得することが多かった。一家の長である祖父も、息子には一目置いているところがあった。
 その点、祖父にはなんでも気安くたずねることができた。子どもの無邪気に問いにも同じ目線で実直に答えてくれるので、幼いころから健太郎がたわいない疑問を向けるのは主に祖父だった。それまで気にも留めずにいたことが、急に気にかかりだすことがある。ごく当たり前に目にしていて、自然の風景のように受け入れてきたものが、何かの拍子に不思議に見えたり、奇異に感じられたり、ときには馬鹿げたものに思えたりする。
「どうして木にお金を供えるんかの」あるとき健太郎はたずねた。「木がお金をもろうても、どうすることもできん」
「それはそうやな」祖父はしばらく間を置いて、「たしかに杉の木が金を使うこたあねえが、人間が大事なものを差し出しとるこたあわかるんじゃねえかの」と言った。
「木にわかるんか」
「じいちゃんはわかると思うなあ。木でも動物でも、人間の気持ちを汲み取ることができる。お山もそうじゃ。大事なものを与えるこたあ、わしらの感謝の気持ちを伝えることになる」

3/10

片山恭一

愛媛県宇和島市生まれ、福岡県福岡市在住。小説家。九州大学農学部農政経済学科卒業。同大学院修士課程を経て、博士課程中退。大学院在学中の1986年、『気配』で文学界新人賞を受賞しデビュー。しかしその後1995年の『きみの知らないところで世界は動く』まで作品が単行本化されない不遇の時期を過ごす。代表作は、故郷の宇和島市を舞台にした『世界の中心で、愛をさけぶ』。2001年に出版、2004年5月には発行部数が国内単行本最多記録の306万部となった。

川上信也

1971年 愛媛県松山市生まれ。福岡および大分県竹田市白丹を拠点とするフリーのフォトグラファー。福岡大学建築学科卒業後、大分県くじゅうの法華院温泉山荘に1997年より5年間勤務。その間にくじゅうの風景写真、アジアの旅風景を撮り続ける。その後、プロ活動を開始し、様々な雑誌撮影に関わり、風景のみならず、自然光を生かしたポートレート、料理などの撮影を行う。定期的に写真集を出版し、写真展やトークショーも開催。

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