連載書き下ろし小説

なお、この星の上に

作:片山恭一

写真:川上信也

プロデュース・ディレクション:東裕治

昭和30年代はじめ、中国山地の山奥で未来のエネルギー資源とされる鉱床が発見される。全国的な注目を浴びて沸き立つ村の人たち、新しい考え方や価値観への戸惑い、変わっていく生活、失われていく伝統的な暮らし。そのなかを生きる健太郎を主人公とする4人の少年たち。彼らを取り巻く大人たち、自然、野生の動物。戦争の傷跡はなお色濃く残っている。死者の国と現世を往還する者たち。古い伝説とアニミズムの面影を残す世界で物語は幕を開ける。もう一つの「失われた時を求めて」。過去のものの無化、存在するものの交替。そのなかで少年たちは何を見出すのか?

第三章

3-10

 いよいよ山参りの仕上げだった。まず社のまわりをきれいに履き清めることから作業ははじまった。掃除が終わると重箱に詰めて持参した赤飯を盛り付け、さらに山の神と同じようにオコゼの干物とお神酒、塩などを供える。健太郎の父が祝詞を上げはじめた。この一ヵ月ほどのあいだ毎日朝と夕の二回、ほとんど耳にタコができるほど聞かされつづけてきたものだ。いつもよりはゆっくりと上げているようだった。長い祝詞が終わると、一同は拝殿に向かって丁寧に掌を合わせた。
 一通りの神事が終わると昼飯になった。各自の弁当箱には白い飯が固く詰められている。滝から汲んできた水に味噌を溶き、これもまた近くから採ってきた山菜をちぎって入れ、焚き火で焼いた石を放り込めば、その場で熱い味噌汁が出来上がる。男たちは黙々と冷えた飯を掻き込んでいる。健太郎も彼らに倣って飯を掻き込んだ。
 飯を喰い終わると、神様に供えるために持ってきた酒の残りを飲みはじめた。帰りのこともあるので大した量ではない。酒は山を下りてから、村の集会場でもたれる直会なおらいの席で存分に飲むことになる。直会は山へ登れなくなった年寄りや、山に入ることを禁じられている女たちのためのものでもあった。こうして数人の男たちが山頂で執り行った神事は、村全体で共有されるものになる。最後に「ウォー」という異様なときの声を上げると、男たちは足早に山を下りはじめた。  権現滝で汲んだ水を携えているものの、下りはよほど早かった。小一時間もすると谷が狭まり、山々が重なり合うあたりに村が見えてきた。それは懐かしくもあり、また物悲しくもある情景だった。夕暮れが近いせいか、侘しさが余計に胸に迫ってくる。自分たちの先祖は、どうしてこんな山奥に村をつくったのだろう。行き道と同じことを、帰り道でも再び健太郎は思った。頭で考えてわかることではないのかもしれない。
 人間は奇妙な生き物だ。辺鄙へんぴな山奥で暮らすことといい、山参りのしきたりといい、理屈に合わないことが多い。学校で習うことの多くは理屈の通ることだ。すると上の学校へ進むことは、祖父や父たちが守ってきたものから離れていくことでもあるだろう。親たちはなぜ進学を勧めるのだろう。これもまた理屈に合わないことだった。
 山の夕暮れは早い。山の神の祠が近づくころには、すでに夕日が沈みはじめていた。オレンジ色の丸い太陽は、山の端に近づくにつれて霧かもやに覆われていった。黄昏かけた光を背にして、一羽の鳥が旋回している。大きさからするとワシのようだった。あいつは何を考えているのだろう、と健太郎は思った。この世界をどんなふうに感じているのだろう。何を欲望し、その欲望を満たすための、どんな知恵をもっているのだろう。
 そんな面倒なものがなくても、空と一体であることで充分なのだろうか。赤みを増した太陽が空全体に放つ柔らかな光のなかを、ワシはいつまでも旋回しつづけるようだった。

10/10

片山恭一

愛媛県宇和島市生まれ、福岡県福岡市在住。小説家。九州大学農学部農政経済学科卒業。同大学院修士課程を経て、博士課程中退。大学院在学中の1986年、『気配』で文学界新人賞を受賞しデビュー。しかしその後1995年の『きみの知らないところで世界は動く』まで作品が単行本化されない不遇の時期を過ごす。代表作は、故郷の宇和島市を舞台にした『世界の中心で、愛をさけぶ』。2001年に出版、2004年5月には発行部数が国内単行本最多記録の306万部となった。

川上信也

1971年 愛媛県松山市生まれ。福岡および大分県竹田市白丹を拠点とするフリーのフォトグラファー。福岡大学建築学科卒業後、大分県くじゅうの法華院温泉山荘に1997年より5年間勤務。その間にくじゅうの風景写真、アジアの旅風景を撮り続ける。その後、プロ活動を開始し、様々な雑誌撮影に関わり、風景のみならず、自然光を生かしたポートレート、料理などの撮影を行う。定期的に写真集を出版し、写真展やトークショーも開催。

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