連載書き下ろし小説

なお、この星の上に

作:片山恭一

写真:川上信也

プロデュース・ディレクション:東裕治

昭和30年代はじめ、中国山地の山奥で未来のエネルギー資源とされる鉱床が発見される。全国的な注目を浴びて沸き立つ村の人たち、新しい考え方や価値観への戸惑い、変わっていく生活、失われていく伝統的な暮らし。そのなかを生きる健太郎を主人公とする4人の少年たち。彼らを取り巻く大人たち、自然、野生の動物。戦争の傷跡はなお色濃く残っている。死者の国と現世を往還する者たち。古い伝説とアニミズムの面影を残す世界で物語は幕を開ける。もう一つの「失われた時を求めて」。過去のものの無化、存在するものの交替。そのなかで少年たちは何を見出すのか?

第二章

2-11

 秋祭りが終わるころからふっつりと姿を見せなくなり、春になるとまたやって来る。冬のあいだは山のなかで竹細工などをして暮しているらしい。村人たちは山乞食と呼んで蔑むことが多かった。水を撒いて追い払ったり、清めの塩を撒いたりする家もあった。物々交換の場合にも快く応じず、無理を言ったり文句を言ったりした。困らせるために、わざと難癖をつけて値切る家も多かったという。しかし祖母の家では、彼らをホギヒトと呼んで大事にしていた。
「おばあちゃんのおとうちゃんはやさしい人でね、いつもお米や野菜と換えてあげよったよ。ホギヒトいうのは、お正月などにやって来て、家の門のとこで踊りながら縁起のええ祝い歌をうとうてくれる人たちのことでな、そんな人らにもお餅やお金をあげよったよ。自分のとこを訪ねてくる人は、みんなホギヒトじゃいうのが、おとうちゃんの考え方やった。おばあちゃんがこまかときは、いろんな人たちが村の家をまわって来よったな。行商や薬売り、旅の芸人……みんな子どもには楽しみやった」
 祖母の父という人は、普段から山乞食は正直者だと言っていたらしい。村人たちに警戒されたり、信頼を失ったりすれば、彼らは商売ができなくなる。しかも自分一人だけでなく、その地域を漂泊している仲間たちにも迷惑が及ぶ。だから絶対に嫌疑をかけられるようなことはしない。盗みはもちろん、押し売りのようなことも慎むというのだった。あるとき山乞食の若者が盗みの疑いをかけられて、村の者たちに袋叩きにされることがあった。しばらくして彼らは集団で襲ってきて、村の家の多くが火を付けられた。しかし祖母の家はなんの被害もなかったという。
 そんなことを思い出しているうちに、いつのまにか庭の物音は止んでいる。物音の主は立ち去ったらしい。夜の闇が、木々のあいだで静かに揺れ動いているのが感じられた。一月や二月にくらべると、闇はずいぶん柔らかくなっている。春は夜からやって来る、と健太郎は思っていた。それから朝、昼というふうに、少しずつ広がっていく。
 目を閉じ、天空を覆う星を思い浮かべた。晴れ渡った夜空には無数の星が輝いている。星たちは寄り集まって、稚魚の群れのように夜空を泳ぎまわる。耳を澄ませば、彼らの囁きが聞こえてきそうな気がする。春の訪れを祝う祭りをやっているのかもしれない。村の男たちが山参りをして一年の無事と豊作を祈願するように。
 父と山へ登る日が楽しみだった。まだ頂上へは行ったことがない。山の神の祠から先へは、子どもたちは立ち入ることを禁じられていた。その聖域に、はじめて足を踏み入れる。何が待っているだろう。どんなものに出会うだろう。頂上にある権現滝は、どんな姿をしているだろう。思いを巡らせているうちに、健太郎は不思議な感覚にとらわれた。自分のなかにたくさんのものがいるような気がした。どれが本当の自分かわからない。どれもが本当の自分だった。やがてそのうちの一つが、彼の身体を抜け出していく。一つ、また一つ、さらに一つ……。
 彼は大空を舞うイヌワシだった。また日差しを求めて競い合うように枝を伸ばす森の植物であり、梢のあいだを飛びまわる小鳥だった。大地を駆け抜ける犬だった。すべての生命が彼のなかにあった。すべてのものたちが深いところで結びつき、つながり合っていた。

11/11

片山恭一

愛媛県宇和島市生まれ、福岡県福岡市在住。小説家。九州大学農学部農政経済学科卒業。同大学院修士課程を経て、博士課程中退。大学院在学中の1986年、『気配』で文学界新人賞を受賞しデビュー。しかしその後1995年の『きみの知らないところで世界は動く』まで作品が単行本化されない不遇の時期を過ごす。代表作は、故郷の宇和島市を舞台にした『世界の中心で、愛をさけぶ』。2001年に出版、2004年5月には発行部数が国内単行本最多記録の306万部となった。

川上信也

1971年 愛媛県松山市生まれ。福岡および大分県竹田市白丹を拠点とするフリーのフォトグラファー。福岡大学建築学科卒業後、大分県くじゅうの法華院温泉山荘に1997年より5年間勤務。その間にくじゅうの風景写真、アジアの旅風景を撮り続ける。その後、プロ活動を開始し、様々な雑誌撮影に関わり、風景のみならず、自然光を生かしたポートレート、料理などの撮影を行う。定期的に写真集を出版し、写真展やトークショーも開催。

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