連載書き下ろし小説

なお、この星の上に

作:片山恭一

写真:川上信也

プロデュース・ディレクション:東裕治

昭和30年代はじめ、中国山地の山奥で未来のエネルギー資源とされる鉱床が発見される。全国的な注目を浴びて沸き立つ村の人たち、新しい考え方や価値観への戸惑い、変わっていく生活、失われていく伝統的な暮らし。そのなかを生きる健太郎を主人公とする4人の少年たち。彼らを取り巻く大人たち、自然、野生の動物。戦争の傷跡はなお色濃く残っている。死者の国と現世を往還する者たち。古い伝説とアニミズムの面影を残す世界で物語は幕を開ける。もう一つの「失われた時を求めて」。過去のものの無化、存在するものの交替。そのなかで少年たちは何を見出すのか?

第十九章

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19-1

 朝の最初の光が巣のなかに差し込んできた。切り立った崖の岩棚に、木の枝を集めて作った巣のなかで、イヌワシはゆっくり立ち上がると、黒い褐色の身体を朝の光に晒した。首から背にかけての羽毛が赤みを帯びた黄色に輝いている。ワシは小さく首を動かした。鋭いくちばしが右に左に向きを変える。不意に動きを止め、何事か思案するように首を傾けた。
 南風の匂いだ、とワシは思った。心を落ち着かなくさせる匂い。毎年、風が暖かい潮の香りを運んでくるたびに、そわそわした気分になる。この風に乗れば遠くへ行くことができる。どこか、ここではない場所へ飛んでいくことができる。長い歳月、彼は自分の縄張りのなかだけで生きてきた。けっして狭い土地ではない。他の動物たちと比べれば広大と言っていいほどだが、未知のものはなかった。地形も植生も棲息する動物たちも、よく知っているものばかり。縄張りとはそういうものだ。それは彼という個体の延長であり、彼自身だった。
 若いころには、自分の縄張りを持っていることが自慢だった。二メートルに及ぶ羽を広げて上空を旋回すると、その影を目にしただけで地上の動物たちは震え上がった。目標を見つけると、空から猛然と急降下し、頑丈な足で獲物を押さえ込んでしまう。捕まえた動物を軽々と運び去る姿は、人間たちにさえ畏怖の念を抱かせた。「天狗」などという怪物に仕立て上げられたのは心外だが、脚色され伝説化されるのは悪い気分ではなかった。
 ふと彼は、数日前に目にしたシカの死骸のことを思い出した。新しい道ができてから、こんな山のなかにも車が入ってくるようになった。スピードを出しているので、ときどき動物たちが犠牲になる。そのシカも車に轢かれたらしかった。まだ若い牡のシカだった。彼は上空から、道端に横たわる死骸を目視しただけで素通りした。空腹ではあったが、死んだシカの肉を喰うほど落ちぶれてはいない。
 自分はハンターなのだ、と彼は思った。しかも一流のハンターだ。一流でなければ生き延びることはできない。いくら強靭な羽や頑丈な足、鋭い爪や嘴を持っていても、狩りに長けていなければ餓死してしまう。餌になる動物たちは年々減っている。おまけに人間たちは山の木々を規則的に伐らなくなったので、狩りをするための開けた場所が少なくなった。限られたチャンスを確実に物にすることができなければ、空の王者と謳われたイヌワシでも餓死するしかない。頂点に君臨することには、それなりのリスクが伴う。

片山恭一

愛媛県宇和島市生まれ、福岡県福岡市在住。小説家。九州大学農学部農政経済学科卒業。同大学院修士課程を経て、博士課程中退。大学院在学中の1986年、『気配』で文学界新人賞を受賞しデビュー。しかしその後1995年の『きみの知らないところで世界は動く』まで作品が単行本化されない不遇の時期を過ごす。代表作は、故郷の宇和島市を舞台にした『世界の中心で、愛をさけぶ』。2001年に出版、2004年5月には発行部数が国内単行本最多記録の306万部となった。

川上信也

1971年 愛媛県松山市生まれ。福岡および大分県竹田市白丹を拠点とするフリーのフォトグラファー。福岡大学建築学科卒業後、大分県くじゅうの法華院温泉山荘に1997年より5年間勤務。その間にくじゅうの風景写真、アジアの旅風景を撮り続ける。その後、プロ活動を開始し、様々な雑誌撮影に関わり、風景のみならず、自然光を生かしたポートレート、料理などの撮影を行う。定期的に写真集を出版し、写真展やトークショーも開催。

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