連載書き下ろし小説

なお、この星の上に

作:片山恭一

写真:川上信也

プロデュース・ディレクション:東裕治

昭和30年代はじめ、中国山地の山奥で未来のエネルギー資源とされる鉱床が発見される。全国的な注目を浴びて沸き立つ村の人たち、新しい考え方や価値観への戸惑い、変わっていく生活、失われていく伝統的な暮らし。そのなかを生きる健太郎を主人公とする4人の少年たち。彼らを取り巻く大人たち、自然、野生の動物。戦争の傷跡はなお色濃く残っている。死者の国と現世を往還する者たち。古い伝説とアニミズムの面影を残す世界で物語は幕を開ける。もう一つの「失われた時を求めて」。過去のものの無化、存在するものの交替。そのなかで少年たちは何を見出すのか?

第十六章

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16-9

「おまえはわしで、わしはおまえだ。そうだろう、それでいいのだろう?」
 なんの違いも、どんな境界もない。どこまでが自分で、どこからがそうでないのか。どこまでが人間で、どこからが動物なのか。二つの心臓は一つの鼓動を刻んでいる。太古から、この場所は開かれていた。おまえが見ているものは、わしが見ているものだ。わしが吸っている空気は、おまえの肺を通ってきたものだ。視線は光で、呼吸は風だ。
 この瞬間、いまここで世界が生まれている。前にもあとにも何もない。このときだけが永遠につづいていく。すべてが身体のなかに入ってくる。目で見ているものも、鼻で吸っているものも、耳で聞いているものも、足が踏みしめているものも。みんなここからはじまったのだ。離れようとして離れない一つのものから。わしがおまえであり、おまえがわしであるという、この場所から。
 芒の草原は美しく広がっていた。穏やかで深々とした静けさのなかを二匹の野犬が駆けていく。二つで一つのものは、声を発することもなく、はるばると冷えた山の空気のなかを駆けていく。世界の果てまで駆けていく。そこにもう一つの世界がある。この世界とは別の世界が足元にうずくまっている。この世界の手前に広がっている。
 ほとんど重なっていると言っていいくらい、わずかな隔たりに過ぎない。その隔たりは、鳥や幻にとってはわけもないが、人や動物の姿で跨ぎ越すのは大事だ。駆けていくには遠すぎる。いくら駆けても前方には遠大な距離が広がっている。だが、もうここがそうかもしれない。この先には空と大地しかない。二つのあいだには何もない空間が広がっている。そんな世界の果てへ、自分たちは来てしまったのかもしれない。
 不意に重さを感じた。重さは痛みのようであり、悲しみのようでもあった。どこからやって来たのだろう、この悲しみは。一つのものが分かたれ、しだいに引き離されて割れ落ちていくような感覚にとらわれた。
「待て、どこへ行く」
 深く沈んだ感覚のなかを、言葉は切れ切れに漂った。どこからか硝煙の匂いがしてくる。遠く置いてきたはずの死が臭ってくる。追いつかれまいとして足を速めた。だが、この重い足取りでは飛翔することなどできない。不浄なものが入ってこないように息を止めた。誰かが遠い声で呼んでいる。声に応えなければならない。そう思ったとき、胸のなかに世界が押し入ってきた。

片山恭一

愛媛県宇和島市生まれ、福岡県福岡市在住。小説家。九州大学農学部農政経済学科卒業。同大学院修士課程を経て、博士課程中退。大学院在学中の1986年、『気配』で文学界新人賞を受賞しデビュー。しかしその後1995年の『きみの知らないところで世界は動く』まで作品が単行本化されない不遇の時期を過ごす。代表作は、故郷の宇和島市を舞台にした『世界の中心で、愛をさけぶ』。2001年に出版、2004年5月には発行部数が国内単行本最多記録の306万部となった。

川上信也

1971年 愛媛県松山市生まれ。福岡および大分県竹田市白丹を拠点とするフリーのフォトグラファー。福岡大学建築学科卒業後、大分県くじゅうの法華院温泉山荘に1997年より5年間勤務。その間にくじゅうの風景写真、アジアの旅風景を撮り続ける。その後、プロ活動を開始し、様々な雑誌撮影に関わり、風景のみならず、自然光を生かしたポートレート、料理などの撮影を行う。定期的に写真集を出版し、写真展やトークショーも開催。

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