連載書き下ろし小説

なお、この星の上に

作:片山恭一

写真:川上信也

プロデュース・ディレクション:東裕治

昭和30年代はじめ、中国山地の山奥で未来のエネルギー資源とされる鉱床が発見される。全国的な注目を浴びて沸き立つ村の人たち、新しい考え方や価値観への戸惑い、変わっていく生活、失われていく伝統的な暮らし。そのなかを生きる健太郎を主人公とする4人の少年たち。彼らを取り巻く大人たち、自然、野生の動物。戦争の傷跡はなお色濃く残っている。死者の国と現世を往還する者たち。古い伝説とアニミズムの面影を残す世界で物語は幕を開ける。もう一つの「失われた時を求めて」。過去のものの無化、存在するものの交替。そのなかで少年たちは何を見出すのか?

第十六章

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 家に帰る道すがら、健太郎は猟銃の手入れをする父の姿を思い起こしていた。そばに息子がいることも忘れたかのように、自分だけの思いに入り込んでいた。何気なく銃を構える仕種がいかにも自然で、そのことにかえって違和感をおぼえた。額の下には照準具を見つめる暗い目があった。どこか冷酷にも見える眼差しは、そのまま戦地に赴いた過去につながっていきそうだった。実際、あのとき父は自分のまわりに戦場をつくり出していたのかもしれない。
 いまさらながら健太郎は父を問い詰めたくなった。あなたは戦争で何をしてきたのか。川を渡ろうとして氷に閉じ込められた馬の話などしていたが、本当はどうだったのか。あなた自身が血も凍るような体験をしたのではないか。何喰わぬ顔の下には黒くてドロドロした過去が隠れているのではないか。父の過去は自分の過去でもある、と健太郎は不合理なことを自然な感覚で思った。父の暗い過去が自分のなかに埋め込まれている。自らは与り知らないもの、身に覚えのないものが居座っている。それが野犬に姿を変えて暗い森から出てくる。
 途中まで下った道を引き返しはじめた。ためらいはなかった。ただ見咎められないように、本道を外れた枝道を行くことにした。山の空気は乾いている。道に降り積もった落ち葉は軽く、靴の先で蹴ると蝶のように舞い上がる。小鳥の啼き声が聞こえた。思いがけず安堵をおぼえたのは、男たちの話していたことが気にかかっていたせいかもしれない。山が静かな日には不吉なことが起こる。いまのところ山は普段と変わりがないようだ。
 熊と間違えられて撃たれた男のことは、健太郎も聞いたことがあった。村の子どもたちは小さいうちから、一つの教訓としてそういった話を聞かされて育つ。猟期に山に入ってはならない、黒や茶色の服を着てうろついてはならない、静かに足音を潜めて歩くのも禁物だ。
 また別の話もあった。測量技師が山に入ったまま奇病に取り憑かれて動けなくなった。仲間とともに元気よく出かけたのが、午後には脂汗をかいて「痛い、痛い」と泣き喚くばかりだった。下山して病院に運ばれ、そのまま息を引き取った。当初はマムシに噛まれたのではないかと思われたが、それらしい傷は見当たらない。きっと強い毒をもつ植物か茸でも食べたのだろう。これも子どもたちへの教訓として伝えられた。知らない植物を無闇に口に入れてはならない。とくに茸類は絶対に食べてはならない。測量技師が死んだ日も山は静かだったのだろうか。

片山恭一

愛媛県宇和島市生まれ、福岡県福岡市在住。小説家。九州大学農学部農政経済学科卒業。同大学院修士課程を経て、博士課程中退。大学院在学中の1986年、『気配』で文学界新人賞を受賞しデビュー。しかしその後1995年の『きみの知らないところで世界は動く』まで作品が単行本化されない不遇の時期を過ごす。代表作は、故郷の宇和島市を舞台にした『世界の中心で、愛をさけぶ』。2001年に出版、2004年5月には発行部数が国内単行本最多記録の306万部となった。

川上信也

1971年 愛媛県松山市生まれ。福岡および大分県竹田市白丹を拠点とするフリーのフォトグラファー。福岡大学建築学科卒業後、大分県くじゅうの法華院温泉山荘に1997年より5年間勤務。その間にくじゅうの風景写真、アジアの旅風景を撮り続ける。その後、プロ活動を開始し、様々な雑誌撮影に関わり、風景のみならず、自然光を生かしたポートレート、料理などの撮影を行う。定期的に写真集を出版し、写真展やトークショーも開催。

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