連載書き下ろし小説

なお、この星の上に

作:片山恭一

写真:川上信也

プロデュース・ディレクション:東裕治

昭和30年代はじめ、中国山地の山奥で未来のエネルギー資源とされる鉱床が発見される。全国的な注目を浴びて沸き立つ村の人たち、新しい考え方や価値観への戸惑い、変わっていく生活、失われていく伝統的な暮らし。そのなかを生きる健太郎を主人公とする4人の少年たち。彼らを取り巻く大人たち、自然、野生の動物。戦争の傷跡はなお色濃く残っている。死者の国と現世を往還する者たち。古い伝説とアニミズムの面影を残す世界で物語は幕を開ける。もう一つの「失われた時を求めて」。過去のものの無化、存在するものの交替。そのなかで少年たちは何を見出すのか?

第十一章

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 敷地の周囲には石壁がめぐらされていた。ぼろぼろに崩れた石のあいだから、葉先が鋭く尖った草が生えている。小学校の校舎にも似た建物は、窓ガラスが割れ、軒が傾き、多くの屋根瓦が剥がれ落ちていた。木の板を段々に打ち付けて白いペンキを塗られた壁は、雨風に曝されて点々と灰色のシミか苔のようなものが付いている。雨樋あまどいには蔦が絡みつき、ツユクサに似た雑草で覆われている。
 人影はなかった。ちょっと期待をはぐらかされた気分で、健太郎は裏手にまわってみた。そこは表よりも一層荒れ果てた感じになっていた。地面にはドクダミが生い茂り、背の高いかやのぎのような雑草が覆っている。さらに背後からは鬱蒼とした森が迫っている。その様子は庭というよりも藪に近かった。草のなかに崩れそうな小塔が見えた。何かの供養のためのものらしいが、まさか亡くなった人の骨を納めたものではないだろう。
 これだけ緑があれば虫が鳴いていてもよさそうなのに、あたりはひっそりと静まり返っている。めったに来ない人間の出現に、虫も鳥も警戒して息を潜めているのかもしれない。いつか豊が言っていたことを思い出した。夜中に虫が鳴くのは交尾の相手を探しているからだ。どこからか仕入れてきたらしいことを豊は知ったかぶりして告げた。以来、秋の夜を鳴き交わす虫たちの声が美しくは聞こえなくなった。忌々しいことだ、と健太郎は思った。
 しばらく待ってみたけれど少年は現れなかった。担がれたのだろうか。言われるまま、こんなところまでやって来た自分の愚かさに舌打ちしたい気分になった。
「馬鹿くさい」
 帰ろうと思ったが、何かが健太郎をその場に引き止めていた。どこからか見られている気がした。目に見えぬものの気配が強くなった。その気配に人の感じが伴わないのが不思議だった。
「おい」と声がした。
 顔を上げると、石壁のところに少年が立っている。
「来たな」相手は言った。
「前から来とる」健太郎は不機嫌そうに答えた。
「知っとる」少年はにやにや笑いながら言った。
「なせすぐに出てこんか」
「様子を窺っておった」
「なんの様子か」
「おまえのことを、まだよう知らんからの」
 その声はいくらか嘲笑を含んでいるように聞こえた。
「名前は知っとるやないか」
「おまえもわしの名前を知っとる」
「教えてもろうたことは知っとるうちに入らん」腹立たしく言うと、
「行くか」素っ気なく切り上げて歩きはじめた。

片山恭一

愛媛県宇和島市生まれ、福岡県福岡市在住。小説家。九州大学農学部農政経済学科卒業。同大学院修士課程を経て、博士課程中退。大学院在学中の1986年、『気配』で文学界新人賞を受賞しデビュー。しかしその後1995年の『きみの知らないところで世界は動く』まで作品が単行本化されない不遇の時期を過ごす。代表作は、故郷の宇和島市を舞台にした『世界の中心で、愛をさけぶ』。2001年に出版、2004年5月には発行部数が国内単行本最多記録の306万部となった。

川上信也

1971年 愛媛県松山市生まれ。福岡および大分県竹田市白丹を拠点とするフリーのフォトグラファー。福岡大学建築学科卒業後、大分県くじゅうの法華院温泉山荘に1997年より5年間勤務。その間にくじゅうの風景写真、アジアの旅風景を撮り続ける。その後、プロ活動を開始し、様々な雑誌撮影に関わり、風景のみならず、自然光を生かしたポートレート、料理などの撮影を行う。定期的に写真集を出版し、写真展やトークショーも開催。

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