連載書き下ろし小説

なお、この星の上に

作:片山恭一

写真:川上信也

プロデュース・ディレクション:東裕治

昭和30年代はじめ、中国山地の山奥で未来のエネルギー資源とされる鉱床が発見される。全国的な注目を浴びて沸き立つ村の人たち、新しい考え方や価値観への戸惑い、変わっていく生活、失われていく伝統的な暮らし。そのなかを生きる健太郎を主人公とする4人の少年たち。彼らを取り巻く大人たち、自然、野生の動物。戦争の傷跡はなお色濃く残っている。死者の国と現世を往還する者たち。古い伝説とアニミズムの面影を残す世界で物語は幕を開ける。もう一つの「失われた時を求めて」。過去のものの無化、存在するものの交替。そのなかで少年たちは何を見出すのか?

第一章

1-7

  リンドウの紫色の花が土手を飾るころになると、キノコ採りがはじまる。主役は村の年寄りだが、休みの日には大人も子どもも山に入る。そんな折に、山のなかを走りまわるジープの姿が、しばしば目撃されるようになっていた。
 車には揃いの作業服を着た男たちが四、五人乗っており、崖下の岩をハンマーで叩き割って鉱石を採集したり、ドリルで地中に深く穴をあけたりしている。地質調査をしているのだ、と大人たちは言った。夏に見かけた老人のことを、四人は久しぶりに思い出した。ジープの男たちとのつながりはよくわからない。しかし男たちが、老人と同じものを探していることは容易に想像がついた。
 ほどなく大人たちの会話のなかに、「エラン」という聞き慣れない言葉があらわれるようになった。それは金やダイヤモンドにも相当する貴重なものであるらしかった。地質調査の男たちも、また健太郎たちが出会った老人も、この高価で貴重な鉱物を探していたらしい。
 やがて「エラン露頭発見」という記事が地元の新聞に掲載された。さらに「有望なエラン鉱床発見」というニュースが全国的に大きく報道されるに至って、健太郎たちの村を含む一帯は鉱石生産の中心地として一躍有名になった。村中が鉱石の話題で持ちきりになった。新聞の見出しなどに使われた「石炭にかわる夢のエネルギー源」という謳い文句を、大人も子どもも門前の小僧のように口にした。エランとは何か? 石炭にかわる夢のエネルギー源である。
 小学校の冬の暖房は主に石炭ストーブだった。当番は倉庫から石炭をバケツに入れて運んできたり、ストーブの底に溜まった燃えカスを捨てに行ったりしなくてはならない。雪の降る寒い日などは、なかなか辛い作業だった。あるとき朝礼で校長先生が話したことを、健太郎はいまでもおぼえている。将来は石炭などを使わなくても、エランによって簡単に暖房ができるようになる。エランを使って発電した電気によって、日本中の街が夜でも明るくなる……そんな話を校長先生は得意げにしたものだった。日本にとっても、健太郎たちの村にとっても、エランは明るい未来の象徴だった。
 しかし村の人たちが、この物質について、どのくらい正確な理解や認識をもっていたかとなると、甚だ心もとないところがあった。「明るい未来のエネルギー」というキャッチフレーズから飛躍し、さらに逸脱を重ねて怪しげなことを口にする大人は、小学校の校長先生にとどまらなかった。たとえばエラン鉱石と一緒に一晩置いておけば、安物のお茶でも玉露のような味になるとか、二級酒が特級酒並みになるとか、真面目な顔をして言う大人も現れた。

7/10

片山恭一

愛媛県宇和島市生まれ、福岡県福岡市在住。小説家。九州大学農学部農政経済学科卒業。同大学院修士課程を経て、博士課程中退。大学院在学中の1986年、『気配』で文学界新人賞を受賞しデビュー。しかしその後1995年の『きみの知らないところで世界は動く』まで作品が単行本化されない不遇の時期を過ごす。代表作は、故郷の宇和島市を舞台にした『世界の中心で、愛をさけぶ』。2001年に出版、2004年5月には発行部数が国内単行本最多記録の306万部となった。

川上信也

1971年 愛媛県松山市生まれ。福岡および大分県竹田市白丹を拠点とするフリーのフォトグラファー。福岡大学建築学科卒業後、大分県くじゅうの法華院温泉山荘に1997年より5年間勤務。その間にくじゅうの風景写真、アジアの旅風景を撮り続ける。その後、プロ活動を開始し、様々な雑誌撮影に関わり、風景のみならず、自然光を生かしたポートレート、料理などの撮影を行う。定期的に写真集を出版し、写真展やトークショーも開催。

Copyright © bokuralab Design by Yuji Higashi